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私は浪人中に、新しい世紀を迎えました。 このことは、単なる時間の流れということ以 上の意味をもっていると思います。政治家と して再起を期すにあたって、21世紀がどん な時代であると認識し、それをどんな時代に すべきかを構想しなければならないことを物 語っています。 世紀の節目に立ち会えたことは、ある感動 を覚える事実ではありますが、残念ながら、 本音で、21世紀にバラ色の明るいイメージ を描ける人は、決して多くないと思います。 |
ありません。愛知県においても事情はまった く同じです。 これまでの県行政は、道路、橋、港湾、ダ ムをはじめ、各種の公共施設を建設すること を公共事業と称して、それらを借金でやるこ とは当然と考えてきました。その理由は、公 共事業は景気浮揚や雇用の確保に役立ち、借 金は税の増収で返済できるというものであり、 さらにその大前提になっていたのは、公共事 業で造られる土木施設や建物は、孫やひ孫の 世代にとっても有用なものであるに違いない |
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まず、環境と資源の問題があります。地球 温暖化に関する京都議定書をめぐる各国のい がみあしも知るにつけ、こんなことで人類が 存続できるだろうかという思いに駆られます。 私たちの孫やひ孫の将来の負担や生存の 危機を考えさせられるのは、環境問題だけで はありません。国と自治体に公団・公社等を 加えた、いわゆる公的債務が約1干兆円とも 言われる借金財政の問題があります。国民総 生産の2倍に及ぶ借金を返済できる見通しは、 ほとんど絶望的です。 つまり、私たちの世代は、本来は孫やひ孫 が使うはずの自然や資金を先食いして、現在 の生活水準を築いてきたと言っても過言では |
という考えでした。 ところが、21世紀の今日、田中康夫長野 県知事の「脱ダム宣言」に象徴されるように、 孫やひ孫にとって役立つと思って造った施設 が、むしろ迷惑施設になり、償金だけを残す 結果になるのではないか、と思われるように なってきたのです。 いま私たちの世代に求められるのは、21 世紀を背負うこれからの世代に対して、謙虚 になることです。孫やひ孫の世代の人たちが、 時代を背負ったときに本当に必要なことがで きるように、土地や自然を残し、いまの借金 をできるだけ減らして、これらの世代に引き 継ぐことだと思います。 そう考えると、当然のことながら、税金の 使い方を根本的に変えなければなりません。 |