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日記

( 2002/02 ← 2002/01 → 2001/12 )


2002/01/31(木)  豊橋法務局
 仕事で法務局の豊橋支局へ。豊田ほどではないにしても、立派に整備が完了した駅前大通りの歩道を歩く人が少ないのが気になった。
 明日からは、わが後援会の一大行事である「初詣の旅」。無事に終わることを祈る。
晴れ


2002/01/30(水)  きょうの市民の会
 夜の会合は、岡田市議が風邪のため欠席で、事実上の流会。それでも6人が集まって、外相解任問題をはじめとする時事問題について意見交換をして、早めに終わった。
晴れ時々曇り


2002/01/29(火)  喧嘩棒ちぎれのはずが・・・
 3年越しの交渉事になった入沢土地区画整理組合の小さな問題で、
市役所へ。交渉というより、市と組合側の不誠実さが判っていたので、言いたいことだけを言って、喧嘩棒ちぎれで帰るつもりだったが、妥協案の提示があって、また依頼者との間を取り持つ羽目になった。どうなるか確信はないが・・・。
晴れ


2002/01/28(月)  病気見舞
 妻と共に、前回落選したとき、私以上に悔し涙を流し、残念会まで設けてくれた女性の病気見舞い。快方に向かっている様子で安心した。
雨


2002/01/27(日)  まちづくりウオッチング
 午後、まちづくり研究会の町並みウオッチングに参加。遅々とした歩みであるが、前進の感じはする。
 夕方から、環高岡少年野球リーグの総会。こどものためにボランティアで頑張っている人々から、学校のクラブ活動のあり方についての苦言を聞いた。
晴れ


2002/01/26(土)  いろいろなこと
 午前、五ヶ丘へのポスティング。午後、市民文化会館での各自治区のまちづくり展示を見学。わが自治区も頑張っていた。が、こうした催しは、各自治区の競争を煽るようで、感心できなかった。
 夜は、初詣の旅の旅行委員会。皆が懸命に支えてくれるお蔭で、昨年並みの旅行ができそうだ。自ら誘った寺部事務所の2次会で酔いつぶれた。
雨


2002/01/25(金)  三志おさむ会
 夜、三志おさむ会の役員会。私の同業・隣接業の仲間の集まりだが、「おさむ会ニュース」を約1万部ポスティングしてくれる貴重な「おさむ会」だ。ポスティング体制の話の後の懇親会では、市政・県政・国政をめぐる様々なことが話題になった。面白く、愉快だった。
晴れ


2002/01/24(木)  ローカルパーティへ
 夕方から名古屋で、ローカルパーティのための会合。最終的には、取り敢えず3月には、名古屋で集会をもとうということになった。
 議論を通じて、ローカルパーティの必要性を訴えることが、市民運動団体に対してはお説教になってしまうという、現状の難しさを痛感する。
晴れ時々曇り


2002/01/23(水)  きょうの市民の会
 午後、ワープロのフロッピーが壊れたり、パソコンの接続が出来なかったりで散々だった。
 夜の市民の会は、きょうが新清掃工場計画の環境アセスメントへの意見書提出の締切日だったので、その相互報告。5人が意見書を提出していたが、それぞれに論点が異なり、特徴があって面白かった。
晴れ時々曇り


2002/01/22(火)  おさむ会準備会
 夜、新たな単位おさむ会の準備会があった。約10人の人たちと同志的連帯の確認ができた。特に、中年の元気な女性が多かったのに勇気付けられた。久しぶりに前回の選挙の総括を含めた議論ができた。
晴れ


2002/01/21(月)  ずぶ濡れ
 義妹の土地取引話に立ち会うために鳴海へ。駅からわずか2,3分のところだが、すごい雨と風でほとんどずぶ濡れになった。雷も光って、帰りには名鉄が遅れぎみだった。
 帰宅後は外へ出る気がなくなって、パソコンとワープロに向かった。
雨


2002/01/20(日)  きょうもいろいろあった
 朝お世話になったお婆さんの法要に出席。その後名古屋での一つの旗開きに顔を出し、夕方は八幡宮での火祭りを少し見学。夜は、遺産分割の件で紛争となっている一方の当事者の言い分を聞く。いろいろな思いがこもっていて、11時を過ぎた。
晴れ


2002/01/19(土)  三日分飲んだ?
 きょうは、ゴミネットの会合(名古屋)、社民党豊田支部と岡田市議の後援会役員会の新年会と続いた。
 何年か振りに、今週は水・木・金と禁酒したのだが、三日分を取り戻す調子で飲み、泥酔して就寝。
晴れ


2002/01/18(金)  ワープロ
 ほぼ終日、司法書士業務に関するワープロ作業。ワードに切り替えるのが面倒なので、いまでもこの分野はワードを使っている。やはり肩が凝った。
 夜、自治区の評議員会があったが、9時前にお開きになった。ややこしい問題が発生していないためだろう。
晴れ


2002/01/17(木)  万博問題初会合
 頼まれていた「寺部町だより」の原稿書き終了。続いて、ローカルパーティについての構想をまとめようとしたが、混乱して途中で放棄。
 夜は名古屋で、万博から撤退させるための今年の初会合。とりあえず、大手新聞での意見広告運動をすることで、大筋合意。思惑どおりにいければ、相当面白いと思うのだが。
晴れ時々曇り


2002/01/16(水)  きょうの市民の会
 急に司法書士業務で仕事や相談事があった。外に1週間で3件ほどまとめねばならない文章があり、いささか焦り気味。
 夜の会合は、岡田市議の提供による情報をネタに雑談会の雰囲気。みんな、会の運動のあり方の困難性を内に秘めながらの発言の様子。しばらくはこんな会合が続くことになるのだろう。
曇り時々雨


2002/01/15(火)  秋葉大社代参
 寺部町町総代主導の恒例の行事である秋葉大社参拝に組長の務めとして参加。朝7時出発。天候そのものは良くなかったが、温かくて助かった。ウィークディのこともあって、順調に進んで午後5時ごろ帰宅となった。すぐに、組内にお札を配り終えた。
曇り時々雨


2002/01/14(月)  ポスティング一段落
 午後から「おさむ会ニュース」のポスティング。自分に課したノルマだけは一応終了。3時間近く歩いた。昨日から、支持者回りに使う文章作成のために、ワードの前に座ることが多かったので、いい運動になった。
晴れ


2002/01/12(土)  法律相談
 弁護士を迎えての、定例の法律相談日。事前の問い合わせも全くなく、開店休業の予感がしたが、飛び込みの若者が1人あって、弁護士に来てもらった甲斐があった。相談内容は、自己破産もからみそうな借金問題のようだった。世相の反映だ。
晴れ時々曇り


2002/01/11(金)  顕彰会
 「ニュース」のポスティング継続。
 夜、渡辺守綱公顕彰会の理事会兼新年会。議題は、春の史跡めぐり日帰り旅行の件。掛川城方面で調整となる。
晴れ


2002/01/10(木)  新年会
 「おさむ会ニュース」のポスティングを開始。
 夕方から、行政書士会建設業部会の新年会に出席。わざわざ僕の挨拶の場も用意していてくれた。配慮がうれしかった。
 その後、初詣の旅の準備のための、寺部おさむ会の打ち合わせで、湯呑酒を痛飲。結果泥酔にて就寝。
晴れ時々曇り


2002/01/09(水)  きょうの市民の会
 今年の初会合。
 新清掃工場の環境影響評価準備書に対して、各自意見書を出すことを確認。
 今後の活動のあり方をめぐって議論。なかなか名案は出ず。僕が主張する次期市議選複数擁立論は少数派の雰囲気。すべては継続審議で12時を超えた。
晴れ時々曇り


2002/01/08(火)  名古屋で
 名古屋で、高校時代の親友である師勝町議と、ローカルパーティについての意見交換。できれば「誰かが」緑の党的ナショナルパーティをつくってくれれば、選択が簡単なのだが、という点で意見が一致。「誰かが」と言わねばならないところが、何ともだらしがない。
 ついで、グローカルフォーラムの会合。初期今西進化論をベースにしたダーウィン進化論批判の話。理屈は理解できるが、それが思想史的にどれほどの画期性をもっているのかよく分からないというのが、正直なところだ。
晴れ


2002/01/07(月)  実質的な仕事初め
 曇ったり、晴れたり、雨が降ったりの変な天気だった。
 きょうが締切日の農転2件を提出。3日から用意したため、あわてずに済んだ。ついでに、少し前まで支払命令と言われていた、支払督促申立の作文もできた。
 政治活動の面でも、始動しなければと思う。
晴れ時々曇り


2002/01/05(土)  お日待ち
 寒の入りの秋葉神社に連なるお日待ち行事の日。
 任期内における組長としての、ほとんど最後の仕事。組費値上げの提案をしたが、和気あいあいで承認された。コミュニティの原点がここにあるという感じ。
曇り


2002/01/03(木)  正月は終わった
 起きたら10センチ近い積雪だった。雪が降ったり、晴れたりの1日だった。名古屋の記録的積雪のニュースが1日流れた。
 昼頃、次男夫婦を送り出してから、7日の締め切りが心配になって、農転手続きの準備をした。
 正月は終わったという感じ。
雪


2002/01/02(水)  在所へ
 恒例の正月行事として、妻の在所(名古屋市緑区)へ。次男夫婦とともに。食べ過ぎ、飲みすぎ。
 夜は雪になった。
晴れ時々曇り


2002/01/01(火)  新年
 10時から組長として、八幡宮の祭事に出たあと、市木事務所で後援会のあいさつ会。
 手伝ってくれた妻の感想は、「年々寂しくなるわね」であったが、私としては、「まだこれだけの仲間がいる」という思いが強かった。
こうした人たちに報いるためにも、何とかしなければと、気持ちだけが焦る新年だった。
 夜は、返礼賀状の宛名書き。公選法遵守の方針で、自ら賀状を出さなくなって以来、このパターンが続いている。
晴れ


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