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日記

( 2002/04 ← 2002/03 → 2002/02 )


2002/03/31(日)  評議員初顔合わせ
 1件葬儀をはさんで、農業委提出用の書類作成の準備で終わった。
 夕方から、新区長宅で、評議員の初顔合わせ。顧問の継続を要請され、受任した。再任評議員と新任評議員がちょうど半々なので(そのこと自体はいいことなのだが)、両者の問題意識を一致させることが当面の課題のように感じた。ついつい口を挟んでしまうことが多かった。
晴れ


2002/03/30(土)  2回の花見
 昼、勘八町の一隅で、挙母おさむ会の花見。快適だった。
 夕方、水源で花見。桜の下のつもりが寒くて、主催者の店に逃げ込む。
 どちらの桜も満開だった。
晴れ


2002/03/29(金)  残務処理
 やりかけの仕事の残務処理がいろいろあった。よって、特記事項なし。
曇り時々雨


2002/03/28(木)  抵抗の論理の限界
 寺部町老人クラブ「豊寿会」の総会。十分な時間をもらったので、自分の現在の政治的信条を語ろうと思ったが、トヨタ批判はできても、そこから抜け出す展望が語れなかった。話しながら、脇の下から汗をかいて、自分の限界を感じた。
 夕方から、名古屋で「地域の市民政党を考える会」の月例会。これまた、展望があるわけではないが、とりあえず前に進むことになった。
 2003年統一自治体選挙をめざして
  「政策研究シリーズ」1
    住民基本台帳とプライバシー」
             講師  白石 孝 氏
    と き  4月14日(日) 午後1時30分
    ところ  名古屋市教育館(名古屋市栄)
から。
晴れ


2002/03/27(水)  きょうの市民の会
 「辻元党首、保坂幹事長で、環境派的な党名変更があれば、社民党を通じての緑の党の結成もありうる」と思っていただけに、辻元氏の議員辞職に至る経過は残念としか言い様がない。「脇が甘かった」の一語に尽きるが、他山の石としなければならない。
 夜の会合で、「老親」の上映会は7月13日(土)と決まった。会の運営に若者の意欲が出てきているのが頼もしい。
曇り時々雨


2002/03/26(火)  不老会など
 昼食をかけて、献体組織である不老会豊田支部の総会。本会理事長である元半田市長の竹内弘氏の話術のうまさに感心した。
 夜は、名古屋で「水の自由化・商品化を考える」と題するカナダ人のモード・バーロウさんの講演会。世界水フォーラム市民ネットワークの全国活動の一環。面白かった。
晴れ時々曇り


2002/03/25(月)  葬儀
 心筋梗塞で53才で亡くなった男性の葬儀。猛烈社員だったらしい。スポーツ万能の快男児だったようで、悲しい式だった。
 午後からは、手応えのない雑務処理ばかりで、特記事項なし。
晴れ


2002/03/24(日)  自治区総会
 午前中、寺部町自治区の定例総会。浪人中でありながら、招待してくれた自治区が他に一つあって中座したため、審議には参加できなかった。とんぼ返りして懇親会のは加わったが、すべて順調に進んだようだ。
 一眠りして懇親会の酔いを覚まして、ワードに向かった。
晴れ


2002/03/23(土)  風が冷たかった
 朝、環高岡少年野球リーグ中等部の開会式。
 夜、寺部高橋まちづくり研究会。
 昼間は、「おさむ会ニュース」の原稿書き。遅々として進まず。
晴れ


2002/03/22(金)  憂鬱・自己嫌悪
 後援会の政治資金収支報告届出のために県の選管へ。そのままとんぼ返りしたら、浄水駅での駐車料金が百円で済んだ。儲かった感じ。
 昨年来頼まれて、当事者間の紛争の仲介をしていた4件の事案がことごとく暗礁に乗り上げた。僕の言動が問題をつくったわけではないが、当事者の権利意識の先鋭化を痛感している。政治学的に言えば、民主制と共和制との矛盾に直面した思いで、自分の能力の限界を感じつつ、憂鬱である。
曇り時々雨


2002/03/21(木)  ゆったりした祭日
 昨日来の調整で、「老親」の上映会は7月13日(土)に。
 法律相談2件、いずれも意外と時間がかかった。夕方から「おさむ会ニュース」の原稿書きに着手。穏やかな1日。

曇り時々雨


2002/03/20(水)  きょうの市民の会
 昨夜調子に乗って飲んだのがたたったらしく、風邪がぶり返し気味で、朝寝をした。
 夜の会合は、「老親」上映会の具体的な相談になった。会場の都合で7月になりそう。準備期間があるだけに、何としても成功させたいものだ。
晴れ


2002/03/19(火)  万博のしわ寄せ
 懸案であった墓掃除をしたぐらいで、特記事項なし。
 別件で豊田市の職員と電話で話しているうちに、高橋の架橋が県の財政難のために、大幅延期になったことを知った。説明会では、万博が終わったからといってすぐに着工できるかもわからないとのことであったようだ。万博は、間違いなく愛知県政を歪めている。
晴れ


2002/03/18(月)  平熱に
 どうやら平熱に戻った。相談業務が3件あったほかは、特記事項なし。
晴れ時々曇り


2002/03/17(日)  からだ第1
 11時ころ寝床で体温を計ったら37度3分だった。予定では、午前中墓掃除、午後は名工大でぺシャワール会の中村医師の講演を聞くつもりであったが、いずれも断念して、ひたすら寝ることにした。
晴れ


2002/03/16(土)  2度目の風邪ひき
 昨日から花粉症かなと思っていたが、体温計では朝36度7分、夕方は37度6分だった。本格的な風邪らしい。
 昼間は、自治区の監査会。夜は後援会の役員会。自分で卵酒をつくって寝た。
晴れ


2002/03/15(金)  なぜ正しい者が少数派に?
 近鉄「川原町」近くで開催された、ゴミ弁連とダイオキシン・処分場問題東海ネット共催の「広域化、新技術で ごみ問題は解決するのか!」という集会に参加した。いろいろ盛沢山な集会だったが、梶山正三氏と津川敬氏と青山貞一氏とのパネルディスカッションのコーディネーターをした村田正人弁護士が、「われわれがこれだけ正しいことを言い、法廷でも論理的には明らかな優位性を示していながら、社会的には少数派になってしまうのはなぜだろう」と発言したのが印象的だった。
 そのまま名古屋で、万博の意見広告のための会合。事務局担当の話では、思いの外反応がパッとしないようだ。とりあえずは豊田市内で頑張るしかない。
曇り


2002/03/14(木)  野良作業
 妻に頼まれて、本当に久しぶりに野良作業を手伝った。母が存命中は、親孝行のマネゴトと思って一緒に野良に出て、隣の耕運機を横目で見ながら備中を振り上げていたのだが、母がいなくなり僕も一度ギックリをやってからは、すっかり妻任せになってしまった。母に比べて決して要領がいいとは言えないが、僕に批判する資格もない。
 夜は、24日の総会に向けての自治区の評議員会。新年度に向けて、自治区の内発的事由ではない、他の組織との付き合い上必要な役員の選考に苦慮していると、区長が嘆いていた。
 
晴れ時々曇り


2002/03/13(水)  きょうの市民の会
 トヨタの春闘、会社側の「ベア0回答」は予想どおりだったが、それで妥結とは驚いた。まさに労働組合の存在価値が問われている。
 夜の会合で、岡田市議から、3月補正予算で法人市民税で約40億円の増額があり(トヨタの史上最高の利益のおかげ)、年度内では使い様がないので、積み立て基金に回されたとの報告あり。何とも変な気分だ。
 映画「老親」の上映会をやることを確認。手分けして準備に入ることに。
晴れ


2002/03/12(火)  顕彰会事務処理
 昨日からはじめた、渡辺守綱公顕彰会の市当局への、平成13年度の実績報告書(会計報告書)の調製事務を完了して、市郷土資料館に提出した。市の都合に合わせた会計支出の項目には、いつもながら頭にくる。
 夜、行政書士会豊田支部の役員会。本題の議論の後、県や市の窓口が、行政手続法に違反していると思われる行政指導を行政書士に課していることへの不満の意見が相次いだ。
晴れ


2002/03/10(日)  大垣行き
 大垣市スイトピアセンターで開かれた「結審まぢか!徳山ダム裁判3周年記念集会」に、妻と参加。川辺川ダム・苫田ダム・徳山ダムの反対運動のからの訴えを聞いた。メインの講師は、中村敦夫参議院議員(公共事業チェック議員の会会長)。今後の連携を考えて、名刺交換をさせてもらった。
晴れ時々曇り


2002/03/09(土)  南部おさむ会発足
 高山龍男さんの主導による「南部おさむ会」の結成集会。世話人の気遣いで三河万才の余興もあり、人数においては、決して多くない集まりであったが、気持ちが一つになった気分のいい会合だった。ひたすら感謝。
 夕方は、寺部町自治区の役員慰労会。顧問兼組長として参加。組長の任期が終わるので、ヤレヤレという感じは否定できなかった。
晴れ


2002/03/08(金)  顕彰会理事会
 午前は高橋中の卒業式。同窓会長として出席。校長が率先して泣いていたという感がしないでもないが、文字通り何もなく、穏やかないい式典だった。
 夜は渡辺守綱公顕彰会の理事会。今年の史跡めぐり日帰り旅行は、4月18日「掛川城と高天神城跡:徳川・武田・今川攻防の跡」と決まった。
晴れ


2002/03/06(水)  鬼の霍乱か?
 どうも起きる気がしなくて、昼までグッスリ寝た。お蔭で楽になった。
 午後は、岡田市議の質問の様子を見るために、ひまわりネットを観た。画面がいまいち不鮮明、声と画面にズレがある。この放映の導入を理由に、少数派議員の発言時間が大幅削減された経過を知っているだけに、こんな放映は止めてしまえという思いがした。
 夜の市民の会は、体験型交通公園計画にどう対応するかと、映画「老親」の上映会をどうするかが主な話題だったが、体調が本調子ではないので、早退した。
曇り時々雨


2002/03/05(火)  足助町木材協同組合
 寺部・高橋まちづくり研究会の具体的な活動の準備のために、4人で足助町木材協同組合を訪ねた。間伐材によるプランターで、生ゴミを使った堆肥で草花を育てて、街を飾ろうという企画のために。4人のうち2人の若者が、花粉症で苦しんでいて可哀想だった。
 どうも風邪を引きかけたようで、朝から周期的に胃の調子がおかしい。
曇り時々雨


2002/03/04(月)  炭出しなど
 朝、土橋小学校での炭出し。マアマアの出来で一安心。
 午後、高橋中学校の同窓会入会式に、同窓会会長として出席。僕や校長の話を聞きたくないと、行動で示していた2〜3名の後輩がいたが、ほとんどは素直な後輩ばかりだった。高橋中学校、万歳!
晴れ


2002/03/03(日)  万博撤退意見広告集会
 夕方から名古屋で、万博撤退意見広告運動の立ち上げの集会。50名弱の集会だったが、みんな運動の手詰まり状態を認識していて、この運動しかないという点で気持ちが一致している感じだった。ぼくには、宇佐美さん(アセスメント市民の会)の話も、新海さん(名古屋市民オンブズマン)の話も新鮮だった。
晴れ


2002/03/02(土)  火入れ・「老親」
 昨日に引き続き、土橋小学校で炭焼きの火入れ作業。こどたちの働きに応えることができる炭ができることを祈るばかりだ。
 午後、あいち生協の映画会「老親」を観に、妻と名古屋へ。深刻なテーマを、ユーモアを交えて描いている。わが両親の介護に余り時間を取られなかった運のよさをあらためて感謝した。
晴れ


2002/03/01(金)  小学生と竹切り
 昨日の雨で順延となった、土橋小学校の6年生の総合学習の応援。「森を愛する会」に、こどもに竹炭焼きの体験をさせたいとの要請があったもの。
 9時から3時ころまでかかって、竹の伐採と竹割、節取りなど。こともたちがどのように働くか心配だったが、総じて素直で勤勉なこどたちで、気持ちのよい共同作業だった。
 夜は、市職現業の退職者の送別会。組合活動でいじめられ、苦労してきた人たちだけの集まりだから、あったかい会食だった。飲みすぎそうになったので、中座した。
晴れ


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