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日記

( 2006/04 ← 2006/03 → 2006/02 )


2006/03/31(金)  司法書士会ブロック総会
 昼間は、司法書士稼業と、八幡宮の基本金会計の整理。
 夜、司法書士会の豊田ブロック総会。4月21日の西三河支部総会の準備。僕の少し後輩の壮年たちが元気で、二次会へ行ったようだ。
晴れ時々曇り


2006/03/30(木)  みどりのテーブル
 昼間は、司法書士稼業と八幡宮の会計処理など。
 夕方から、僕が事務局を担当してきた「みどりのテーブル」の会合で、名古屋へ。10名ほどの集まりだったが、みなが積極的に発言して、いい会合になった。結論として、「みどり東海」として、再出発することになった。
曇り時々雨


2006/03/29(水)  きょうの市民の会
 昼間は、司法書士稼業。
 夜の会合は、岡田市議から、議会内外の近況報告。その後、主として、勘八町の産廃代執行と、PCB問題について意見交換。寒い夜だった。
晴れ時々曇り


2006/03/28(火)  映画「土方 Nogada」
 朝から、業務上の電話が次々とあって、追いまくられている感じの日だった。
 夕方から、ドキュメンタリー映画「土方 Nogada」の上映会で、妻と名古屋へ。日韓の土建業界の底辺で働く日雇労働者の闘いを描いたもの。現場の闘いの凄まじさを知るとともに、わが国の主流の労働運動の消滅を再認識した。
曇り時々雨


2006/03/27(月)  会計の職務
 午前中、受け渡しの立会い1件。その関連の業務を終えた後、神社庁高橋分会の会計処理。先輩方が綿密な会計処理をしてきたので、それを見習うのに四苦八苦。
晴れ


2006/03/26(日)  入学・卒業祭など
 午前中、八幡宮の入学・卒業祭。30名余の祈願者があって、ヤレヤレの感じ。
 夕方から、名古屋へ。小さな、小さな左翼の会合。数年休眠していた活動を何とかしなければ、という会合。飲みながらの会合だったので、僕の性にはあっていた。
晴れ時々曇り


2006/03/25(土)  竹切り
 朝から、竹炭を焼くための竹切り作業。10名余の参加者が、みな勤勉に働くので、意外と早く3時ごろ予定完了。焼くのは来週の土曜日と決まった。
 夜、まちづくり協議会の月例全体会。女性の委員の出席率がよく、円満に散会となった。
晴れ


2006/03/24(金)  司法書士稼業
 午前、受け渡しへの立会いあり。その余も、終日司法書士稼業。
晴れ


2006/03/23(木)  定年歓送会
 終日、バタバタと司法書士稼業。
 夕方から、有志による市職現業で定年を迎えた仲間の歓送会。現業部門への風当たりが強い中での定年。そのやるせなさが分かる者同士の宴会だから、寂しくて楽しくて、痛飲した。
晴れ時々曇り


2006/03/22(水)  きょうの市民の会
 司法書士稼業の中で、この前名古屋で購入してきた書籍を読み通さないと対処できないことに直面して、愕然として憂鬱になった。
 夜の会合は、岡田市議からの近況報告。話題は、産廃問題に収斂していった。
曇り時々雨


2006/03/21(火)  八幡宮
 今日は終日、春の祈願祭で八幡宮だった。
曇り


2006/03/20(月)  国民投票法案
 昼近くに、お彼岸の墓参り。
 午後、まちづくり協議会の「わくわく事業」応募についての相談。その後、憲法問題懇談会で名古屋へ。
 ジュンク堂で業務用の書籍を見つけて買い込む。
 その後の会合で、国民投票と代議制、政党政治との整合性を理論化することの難しさを知った。
晴れ時々曇り


2006/03/19(日)  自治区総会
 自治区の年度総会。31年間務めた顧問の職をようやく離れることになった。離任の挨拶の場を与えられたので、僕なりに自治区への思いを込めて挨拶したが、果たしてどれだけの人が分かってくれたことか。それにしても、これで評議員会には出なくてもよくなったので、ホッとした思いだ。
晴れ


2006/03/18(土)  評議員会
 午前・午後と、民事再生と破産の打ち合わせ各1件。
 夜、明日の自治区総会のための資料の調製で評議員会。総会のために大部の資料を提供するのが、わが自治区の民主主義の証と思って、印刷に専念した。
曇り時々雨


2006/03/17(金)  売主いずこへ
 朝、受け渡しの立会いに出かけたが、売主が現われず。僕は自宅待機で、仲介業者からの連絡を待った。結局、銀行の窓口が閉じる間際に受け渡し。4時半過ぎに申請書提出。丸一日拘束された感じ。
 夜、渡邊守綱公顕彰会の理事会。史跡めぐり旅行を4月25日に決定。
晴れ時々曇り


2006/03/16(木)  特記事項なし
 昼間は、特記事項なし。
 夜、まちづくりのリーダー会議。4月2日の花見会の準備など。
雨


2006/03/15(水)  きょうの市民の会
 午後、お彼岸の準備のため、重い腰を上げて墓掃除へ。
 夜の会合は、岡田市議が体調不良のため早退。彼が用意しておいた「祭座ニッポン」に関する資料を読んで、若干の意見交換。その後、僕が環境部と雑談した内容を報告して、しばし雑談。
晴れ


2006/03/14(火)  自治区監査会など
 午後、久しぶりに市環境部職員と産廃問題について意見交換。その後、郷土資料館で寺部城址の用地問題について情報提供。
 夜、自治区の監査会。会計の出来がよく、円満に終了。
晴れ時々曇り


2006/03/12(日)  漁協支部総会
 朝寝をするつもりで、10時前に起床。9チャンネルの将棋・囲碁を眺めながら、顕彰会の事務処理。
 夜、矢作川漁協豊田支部の総会。最近の漁協が抱えている問題を理解できた。
曇り時々雨


2006/03/11(土)  法律相談・組長慰労会
 午後、月例の法律相談。久しぶりに民事再生を引き受けることになった。
 夜は、自治区の組長の年度末慰労会。これが最後のお付き合いになると思って、二次会にも付き合った。
晴れ時々曇り


2006/03/10(金)  イラン核問題
 現に核兵器をもっていて、時折核実験までしている米・英・仏が、イランに対して、「核兵器をもつな」という権利があるのだろうか。この理屈を、こどもにも分かるように説明できなければ、この問題は解決しない。僕には、ブッシュが、少なくとも、「アメリカも核兵器をこれだけ減らすから、イランも核兵器をあきらめてくれ」と言うことが必要だと思うのだが。
雨


2006/03/09(木)  増山たづ子さん逝く
 徳山村の増山たづ子さんの訃報。「月刊矢作川」をやっていた当時、徳山ダムについての現地での座談会を企画して、彼女の民宿で一晩厄介になった。彼女は、山菜中心の素晴らしい料理でもてなしてくれた上、座談会のメンバーの人選にも知恵を貸してくれた。それにつけても、水余りの時代に全く無駄なダムが造られつつあるのが、何とも悔しい。
 午後、自己破産の相談2件。
 夜、総会へ向けての自治区の評議員会。
晴れ時々曇り


2006/03/08(水)  きょうの市民の会
 朝から、顕彰会や「みどり」の関係の事務処理。
 夕方、有線テレビで岡田市議の代表質問を観る。
 夜の会合は、その代表質問のやりとりの報告。傍聴した仲間から、「一種の緊張した雰囲気があった」との感想あり。
晴れ


2006/03/07(火)  葬儀
 後援会活動で大変お世話になった先輩の訃報があって、昨夜通夜、今日葬儀があった。
 その余は、昨日も今日も司法書士稼業。事務処理の要領の悪さもあって、気分的な忙しさが募ってきた。
晴れ


2006/03/05(日)  岩村城址
 今日は朝から、史跡めぐり日帰り旅行の下見のために、明智町の大正村と、岩村町の岩村城址へ。僕はどちらも初めてだったので、新鮮でよかった。どちらの町も、町づくりのために懸命になっているのがよく分かった。
晴れ


2006/03/04(土)  防災訓練・9条の会
 午前中、自治区の防災訓練。初めて地震体験車を経験。震度6になったら、我が家は崩壊することを実感。
 夜、豊田9条の会の1周年記念で、29歳の猿田弁護士の講演を聴いた。自己体験を率直に押し出した、説得力ある小気味の好い話だった。
晴れ


2006/03/03(金)  ラグーナ蒲郡
 夕刊に、ラグーナ蒲郡に「愛知県、31億円拠出提案へ」との報道があった。この第三セクター設立に際して県の出資の提案があったとき、当時の社会党県議団の若手は、「いまの時勢では、赤字に陥るのが必定」という理由で、皆反対だった。説明にきた県幹部に、「初期出資以上の追加出資はしません。もし、赤字を抱えるようになったら、初期出資を放棄して、県は手を引きます」と約束させて、同意した経過がある。いまも議席をもっている当時の仲間はどうしているのだろう。
 夕方から、司法書士会西三河支部の、賃貸借契約に関する係争についての研修会。若い会員が職域を広げているのを目の当たりにして、やや自己嫌悪気味で帰路についた。
晴れ


2006/03/02(木)  小泉純一郎とヒットラー
 韓国の「3.1運動」の記念式典での盧大統領の演説の格調の高さには、昨年も感銘したが、今年もいい演説だった。
 彼が、「憲法に9条をもっている国だから、我々は日本を信用してきたのだよ」と言ったのに対して、小泉首相と安倍官房長官が、「われらの国をどうしようがわれらの勝手だ」と発言したのを聞いて、僕には、遅ればせながら、小泉純一郎とヒットラーの共通性が認識できた。
 ヒットラーは、第一次世界大戦後に形成された、国際的にはベルサイユ体制、ドイツ国内においてはワイマール体制の打破を唱えて、ドイツ国民のナショナリズムをバックに独裁政権を掌握したが、小泉首相の靖国神社参拝路線は、論理的には、東京裁判の否定と第二次世界大戦後の国際社会のサンフランシスコ体制の否定に繋がっている。「靖国神社参拝に外国(中国、韓国、北朝鮮)の指図は受けない」といって、ナショナリズムを煽る構造は、ヒットラーが、「ドイツ国民に苦難を強いたベルサイユ体制を打破しよう」と訴えたのと酷似している。日本国民が、小泉の扇動にのって、中国人や朝鮮人に対する優位性を主張するナショナリズムに酔うようになったら、第三次世界大戦の主役になる危険性なしとはしない。杞憂であればよいのだが・・・。
晴れ


2006/03/01(水)  きょうの市民の会
 午前中、八幡宮の月次祭。午後、神社役員への病気見舞い。
 夜の会合は、前回に続き、岡田市議から代表質問の内容の説明。広く浅くの総花的な感あり。最初の経験だからやむを得ないことにしよう。
雨


( 2006/04 ← 2006/03 → 2006/02 )



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