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おさむ会ニュース 第7号 2001.10.15発行

 去る8月27日、矢作川沿岸水質保全対策
協議合(矢水協)の事務局長であった内藤連
三さんが亡くなられました(享年69歳)
 この方式は、開発行為の許認可事務に関連
する水質保全行政の権限を、県や市町村が放
棄して矢水協に任せたもので、その評価には
 私が内藤さんと
知り合ったのは、
1970年頃でした。
当時の矢作川は毎
日が泥水状態で、
仲間とともに「豊
田水質調査会」と
いう集まりをつく
ったものの、具体
的に何から手を着
けたらよいのか分
からずに、明治用
水会館を訪問した
のがはじはりです。
そこで、当時の内
藤さんが昼夜を分
地域の活動家たちとパトロールする内藤さん(右端)
昭和49年6月頃、飯野川合流点の矢作川
賛否両論あるとこ
ろですが「鬼の内
藤」なくしては、
矢作川がこれほど
早く泥水状態から
脱することはでき
なかったことは、
間違いのない事実
です。
 内藤さんは同意
書の処理だけでは
なく、工事現場か
らの泥水対策につ
いての技術的考案
も試み、これらを
併せた矢作川方式
かたずやっておられた、悪質山砂利業者のパ
トロールのごく一部を分担することになりま
した。
 矢作川流域の開発工事には、矢水協の同意
書を許可条件とするいわゆる「矢作川方式」
が制度化されて、内藤さんは開発業者から、
「鬼の内藤」と恐れられる存在になりました。
は、沖縄県の土地改良事業の農業土木に導入
されたり、国連機関からも注目されて、開発
途上国からの視察も相次ぎました。
 内藤さんの一生は矢作川とともにあったの
であり、矢作川の水質問題をめぐる歴史は、
内藤さんの一徹な正義感なしには語れないと
思います。       (小林おさむ)

市立みずほ幼稚園の民営化に寄せて
市職労の奮起を切望します
 このほど豊田市は突然、市立みずほ保育園の
来年度からの民営化の方針を明かにしました。
園児の保護者はもちろん、そこで働く保母との
事前協議もない、唐突な決定でした。
 私は、幼児教育は必ず公務員労働に拠らなけ
ればならないという論者ではありません。自分
のこどもを保育園に通わせていた頃、市会議員
として、「保育園の役割はこどもを安全に遊ば
せることに尽きるから、運営をを地域のボラン
ティアに任せたらどうか」と提案して、市職労
から批判を受けたことがあります。
 しかし、今回の方針決定には、「異議あり」
と言わねばなりません。それは、民営化を目指
す理念が全く感じられないことです。
 市子ども課が議会に示した資料を読んでも、
市営よりも民営が良いという理由は、人件費が
安くなるということだけです。問題は、幼児へ
の保育サービスのあり方にあるはずです。
 市当局のあるべき姿勢は、実現したい保育サ
ービスのあり方を、現場の保母や市職労に提示
して、それを担う用意があるかどうかをまず問
うべきだったと思うのです。そうした過程を省
略した今回の提案ですから、市の意図は、保育
サービスの向上よりも、「安上がり行政」にあ
ると判断せざるを得ず、みずほ保育園の保護者
への説明会で、不安や反対の意見が多く出たこ
とも納得でさます。
 公務員労働の現業部門の民営化は時代の流れ
になっており、その一定の必然性もあると思い
ますが、相次ぐ学校給食センターの協会委託な
どの市当局の方針決定の手法を見ると、政策決
定過程が全く明らかにされず、ただ公務員労働
を切り捨てることが、人事行政の目的になって
いるように思われます。
 こうしたやりとりの中に、市職労の姿が見え
てこないのは、単に現業公務員の権利の保全の
観点だけではなく、市民に対する行政サービス
のあり方に関して、市職労内部において、ほと
んど議論がされなくなったことの反映のように
思われてなりません。    (小林)

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