会報第12号 16年2月18日 発行
1ページ2ページ3ページ4ページ
することこそが、要介護者のための最重要の課題だということだと思います。そして、介護保険の先進地としては、躊躇なく「高浜市」を挙げ、「要は、首長の姿勢とやる気の問題でしょう」とも言われました。
 施行後3年を経過したこの制度は、来年度から見直しの作業が始まりますが、その課題としては、現在各施設に属しているケア・マネージャーの身分と待遇・質量の向上の問題と、急激な商業化によって、安かろう悪かろうという傾向があるヘルパーの質量の向上と待遇改善問題などの指摘がありました。

求められているのは、介護の社会化であって、商業化ではない

 以上のような介護保険制度の評価の後、伊藤さんの医療に対する医者としての理想主義が熱っぽく語られました。
 その第1は、介護保険制度は、福祉を単に市場つまり商業化の世界に放り出すものであってはならないということです。資本主義社会にあっては、福祉の業務も対価を得ることは当然であるとしても、そこにはボランティア精紳が必要不可欠である。伊藤さんによれば、ボランティアとは、「しんどくならない程度に、少しばかり日常生活から離れて、少しばかり無理もして、人間として当たり前のことを淡々とやり続けること」であり、「『自立と共生』を考え、要介護者や要支援者の生き様に『共感』することが必要」ということになります。
 財政的に社会保険制度は将来破綻するのではないかという危惧に対しても、家族介護が事実上不可能になりつつあるのだから、市民活動を盛んにして地域介護(コミュニテイ・ケア)を創造するしか、道はないと指摘しました。
 そこには、介護の主体を、対価を宛にした単純な資本下の労働に求めるのではなく、NPOや地域社会などで、「人間として当たり前のこと」をする市民意識の向上に求めたいという思いが伝わってきました。

個人主義に基づく「事前指定書」の提唱

 第2は、これからの医療には、「『市民主義的な個人主義』=『情報の公開(開示)と自己決定権の尊重(その裏返しとしての自己責任と受益者負担を含む)』が浸透していかねばならない」とする強い信念です。
 近年マスコミ等で言われる「インフォームド・コンセント」は、「医者の患者に対する説明費任」程度に理解されていますが、伊藤さんは、この観念をさらに発展させて、「検査や治療方針の自己決定に至るに十分な情報の開示と患者の自己決定権の尊重を意味し、自由と民主主義からの個人主義の根幹を成す権利概念であり、自殺でない限り、『死』に対しても自己決定権の尊重が必要な状況となっていると考える」とし、自院で試行している「病気になった場合の事前指定書」を紹介しました。
 これは、信頼できる「かかりつけ医」をもっている患者が、「病気や外傷により意思の疎通ができなくなったときに、私の治療をどうして欲しいのか」を、あらかじめ医者に指定しておくシステムです。まだ、わが国では一般化されていないシステムですが、伊藤医院での試行が、どれほど定着するか、興味津々です。
 伊藤さんの信条からすれば、医者の徹底したインフォームド・コンセントを求める一方で、患者に対しても、自らの「死」について自己決定できる自立した市民主義的な個人主義の確立を求めているのだと思います。

 私にとっては、いろいろなことを考えさせられる意義深い講座でした。
(文責:小林 収)

1ページ2ページ3ページ4ページ

Copyright (C) Toyota Citizens Associations 2004. All Rights Reserved.