会報第20号 18年7月12日 発行
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靖国神社訪問記
 去る6月18日、私は、6月定例会に請願として提出された「小泉首相に靖国参拝の中止を求める意見書提出についての請願書」を考えるうえで、ぜひ現地を見ておこうと思い、急遽、靖国神社および遊就館に出かけた。
当日は、環境美化の日だったが、雨天だったため、我が自治区は延期となり、自宅を8時過ぎに出発し、靖国神社には12時頃到着。私は、南門から入り、まず本殿に参拝し、散華された故人への感謝とご冥福を祈り、再び戦争の惨禍に巻き込まれることのないように祈念する。そして、いつも議論の対象になる遊就館へ。
遊就館は、「明治15年我が国最初で最古の軍事博物館として開館し、開館以来、一貫して、殉国の英霊を慰霊顕彰すること、近代史の真実を明らかにする」という立場を貫いている。そして、「近代国家成立のため、我が国の自存自衛のため、更に世界史的に視れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦いがあり、それらの戦いに尊い命を捧げられたのが英霊であり、その英霊の武勲、御遺徳を顕彰し、英霊が歩まれた近代史の真実を明らかにするのが使命」と言っている。
 遊就館での私は、1時間弱のドキュメント映画「私たちは忘れない −感謝と祈りと誇りを−」ならびに昭和32年公開映画「明治天皇と日露大戦争」も約2時間、鑑賞した。三国干渉後の国民の強い臥薪嘗胆の想いから国民の日露戦争突入への世論の形成過程を見ると昨今の隣国に対する強いナショナリズムからの強硬姿勢と重なる思いがした。
そして、展示物ならびにこれら各種映像を見ると、戦没者に対する畏敬の念を持ちつつも、先の大戦すべてを肯定する姿勢には違和感を持った。また、近隣諸国に対する日本の加害者としての立場、歴史認識が全くなかったし、遊就館には英霊の写真はあっても、日本が侵攻した国々の人々の姿もなかった。加害者としての事実を無視し、戦争をアジア諸国独立のきっかけという一方的な美談にしている。よく言われることに、殴ったほうは忘れても殴られたほうは忘れない、という言葉があるが、まさにこれであった。
 実は、私の父方の祖父も昭和20年3月に南方で亡くなっている。父は16年10月生まれで戦地に赴く前の父親(私の祖父)の記憶もないという。そんな父も私も遺族であり、英霊として祖父は靖国神社に祀られていることになっているので複雑な思いもある。しかし、そうであってもやはり、戦争指導者も合祀され、先の大戦を完全に肯定、美化する遊就館を含む靖国神社への総理の参拝は、近隣諸国への配慮はもちろん、国益を総合的に考え、すべきでないと再認識した靖国神社への訪問であった。
 故郷を思い、家族を思いながらも国家の命令で、戦地に赴いた英霊に対して「2度と不幸な戦争は起こさない、起こさせない」と誓うためにも皆さんもぜひ、遊就館を含む靖国神社を訪れることをお勧めしたい。
紙面の関係ですべてをお伝えできないが、関心のある方は、私のウェブサイトhttp://www.ko1.org/gikai/06-06/touron.htmへもご訪問いただきたい。
(文責:とよた市民の会 代表 岡田 耕一)

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