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日記

( 2001/08 ← 2001/07 → 2001/06 )


2001/07/31(火)  水利組合の地区会合
午前中から真面目に司法書士稼業。
16時から、美和団地に「おさむ会ニュース」配布。暑い暑いというけれど、17時を過ぎれば、やはり夕方だと実感した。
夜、鞍ヶ池水利組合の寺部町会合。農業用水の節水が最大のテーマ。
「だから、ダムはできるだけあった方がいい。田中長野県知事は間違っている」という素朴な意見に、長い理屈を使わずに反論できるかが、自らの課題だと痛感した。ただ、19時30分からの会合に「粗飯の用意あり」とあったので、迷った挙句、夕飯をすましていったのが失敗だった。結構な「粗飯」であった。
晴れ


2001/07/30(月)  久しぶりに本業の仕事
 同業者のご尊父の葬儀で安城へ。
 午後は、久しぶりに司法書士稼業のためにまとまった時間をとる。
 夜は、行政書士豊田支部の役員会。後の懇親会を楽しく過ごす。
晴れ


2001/07/29(日)  ほおずき庵
 昨夜は、知り合いの紹介で、稲武町富永の「ほおずき庵」で一泊。夜は寒いぐらいだった。痛飲のためもあって熟睡。朝、露天の五右衛門風呂に入って帰宅。
 参院選の開票結果は、残念ながら、予想通り自民党の圧勝。イギリスの労働党のように、野にあるときに、民主党がどれだけ体系だった政策を作れるかが問題だろう。
晴れ


2001/07/28(土)  珍しく早起き
1.6:00から、渡辺守綱公顕彰会の理事で、守綱神社前の「すみれの碑」の草取り。
2.10:00 相続登記の相談、依頼。
3.13:00 高橋中学校同窓会の役員会。8月12日の定期総会の準備。
晴れ


2001/07/27(金)  ピースサイクル
 年中行事になっているピースサイクル部隊の向かいいれ。平和行進の自転車版だ。約20名来豊。市秘書課がいままでよりも親切に対応してくれて、ヤレヤレ。私の市木事務所で、カレーライスの昼食接待(ただし、私は場所を貸しただけ)。次の訪問地は日進市だそうだ。
 その後、きのうに続いて、豊田西高の高校野球のテレビ観戦。弥富に惜敗。互いに高校生らしいエラーが出て、最後は運が悪かったとしか言いようがない。実力的には、勝てる試合だっただけに、選手はすごく悔しいに違いない。でも、本当にいい試合だった。
晴れ


2001/07/26(木)  特記事項なし
午後久しぶりに雨が降った以外に、特記事項なし。
晴れ時々曇り


2001/07/25(水)  きょうの市民の会
1.岡田代表から、サッカー場の建設費増額問題について、JV側から市長宛に出された「要望書」を、情報公開請求したとの報告。真相を知るには、今年一杯ぐらいかかりそうな予感。
2.アニメ映画「ダイオキシンの夏」の上映会を主催する方向で準備に入ることを確認(最終的には、会員の誰かが映画を観てから、8月下旬に決定)。
3.岡田君の後援会報と私のそれとの組み合わせ作業で11時20分まで。 
晴れ


2001/07/24(火)  ゴミ・ネット
 午後名古屋で、あいちゴミ・ネットワーク処分場部会の月例会。参加者は、瀬戸市、春日井市、立田村、豊橋市、名古屋市の各地からで、男性は私を含めて2人だけ。みんな、近所に処分場があったり、その計画があって、何とか止めさせたいと思っている人ばかり。各地の行政とのやりとりをめぐる経過報告を聞いたが、行政職員の対応に誠意が感じられない話ばかり。豊田でも何かあったばあいには参考になる情報ばかりであった。
晴れ


2001/07/23(月)  ああ、万博
 特記事項全くなし。
 夕方のNHKニュースが、万博のプロジューサーに木村尚三郎氏以下3氏が就任したと報じた。3氏とも70歳以上。旧態依然たる博覧会しかできないことの証明ではないか。頼んだ方も、受けた方も、一体何を考えているのだろう。大阪万博をプロジュースした堺屋太一氏は40歳台だった。中部で万博をやる意味があったとしたら、中部でこうした人材を発掘することだった。やはり、失敗が目に見えている万博は止めた方がいい。
晴れ


2001/07/22(日)  豊田スタジアム漬け
 午前、高橋地区コミュニティ会議福祉委員会主催の「第3回ふれあいウォーキング」に参加。寺部の町並みを通って豊田スタジアムへ行くというから、町並み保存に関係があるかと思ったら、スタジアムの見学会だった。暑かった。よく日に焼けた。
 夕方から、スタジアムでJリーグのサテライト戦を観戦。市が周辺自治区に整理券を配ったので、話のタネにと思って行ってみた。
 確かに、ゲームが観やすい、立派なサッカー場だ。この町に存在してもいい施設だ。だが、税金を使ってまで造る施設ではないことを、あらためて強く認識した。少なくとも、市民の健康・生命とは直接的関係のない、遊びのための施設だ。あきらかに、豊田市は、行政の本来の仕事ではないところまで手を広げすぎている。
 施設が立派であるだけに、心底腹が立ってきた。
晴れ


2001/07/21(土)  いろいろなこと
 午後1時、元市議の林信吾さんの葬儀。彼が、サッカー場問題について市議会与党内部から叛乱を起して以降は、胸襟を開いて酒が飲めた。意見が対立することも多かったが、博学な人で教えられることも多かった。面白く豊な第二の人生を描いておられたから、さぞかし無念であったろう。
 その後、北高PTAの有志に誘われて、きょうからオープンする豊田スタジアムが北高に与える影響を知るために現場へ。いろいろ気になることもあったが、スタジアムが教育施設と共存できる施設ではないことだけは確認できた。
 ジェノバ・サミットで、NGOのデモ隊からはじめての死者がでた。少数の人間が集まっただけで合意されているグローバル化が、結果として、「後進国」の切り捨てになっていることは、厳然たる事実だ。NGOとの対話の必要性について、ヨーロッパの指導者にその認識が窺われるのは、さすがだ。ブッシュ大統領とわが小泉さんには、何の問題意識もないように思われるのは、下司の勘ぐりだろうか。
晴れ


2001/07/20(金)  Ca21
午後、名古屋で市民自治21の運営委員会で、ローカルパーティについての議論。結論的に言うと、男性が積極論で、女性が消極論という感じ。いまどき、オジサンだけの政治活動が成功するはずがない。「急いては事を仕損じる」という気持ちで、議論を重ねていくことが必要だろう。
晴れ


2001/07/19(木)  飲み過ぎ
 夜、渡辺守綱公顕彰会の会合。7月1日の茶会と、平成4年に裏千家家元を招いて行った茶会で、いずれも裏方で黙々と頑張ってくれた
理事の慰労の意味を含めて、「久良知」に無理を言って設定した。
 茶会が成功した後の宴会だから、みんな陽気にアルコールが進んだ。と言うようなわけで、飲み過ぎ。泥酔にて就寝。

晴れ時々曇り


2001/07/18(水)  きょうの市民の会
 午後は全くヒマだったので、山口二郎編著「日本政治 再生の条件」(岩波新書)を読む。帯に、「「小泉改革」で政治は良くなるのか?」とあった。読み物としては、それなりに面白かったが、スカッとはしなかった。経済学者・金子勝氏の「デフレ状況の中で不良債権を処理するのは危険だ」という指摘は理解できるが、「では先送りでいいのか」と考えると、釈然としない。
 夜は、市民の会。岡田市議から、広域圏で藤岡町の藤井鉱業跡地の
一般廃棄物埋立て処分場化が具体化しているとの報告を受ける。50年間は使えるというから、規模の大きさに驚く。アンテナを高くして推移を見守りたい。

晴れ時々曇り


2001/07/17(火)  鞍ヶ池の水
 水利組合の事務連絡で、鞍ヶ池のボート事務所へ。「まだ水はありますねえ」と言ったら、組合長から「もう1m以上も水位が下がっている。盆までもつかどうか心配だ」と叱られた。農民がいかに天候に敏感か、あらためて知らされた思い。
 名古屋市で、情報公開請求者名を第三者に知らせたとことが大きなニュースになったが、愛知県でも同様なことが横行していた。産廃行政に関する公開請求者名を、県当局が「第三者紹介」と称して、産廃業者に教えたために、請求した女性が産廃業者の車に尾行されたという話は、廃棄物問題の市民運動をしている仲間では有名だ。女性たちの抗議によって、県は第三者紹介を止めると約束したそうだ。つい2、3ヶ月前の話。県は、ニュースにならなくて良かったと思っていることだろう。
曇り


2001/07/16(月)  特記事項なし
 大相撲で、鳴戸部屋の若の里と隆乃若が揃って勝ち越した。少し前まで、名古屋場所では寺部の守綱寺に部屋を構えていた関係で、年に1度は両関取と顔を合わせていたので、やはり親近感を感じ嬉しい。
 アメリカのミサイル迎撃実験には呆れる。地球温暖化防止条約への対応や、中近東紛争や北朝鮮に対して、自己主張だけをしている態度をみると、もはやアメリカは世界の指導者なんかではなく、高い身長と腕力だけを誇示してダダをこねている、単なる長男坊に過ぎないと思えてならない。次男坊以下が力を併せて、長男坊をいさめねばならない時代を迎えたようだ。
曇り時々雨


2001/07/15(日)  演劇を観る
 午後、劇団ドラマスタジオの演劇「煙が目にしみる」を妻と観る。
二十歳台から地方演劇一筋で活動してきた、私より2年先輩の演出の岡田さんとの縁で。
 アマチュア演劇ではあるが、基礎はしっかりしていて、安心して観ていられた。
 会場の市民文化会館に早く着き過ぎて、2つの展示場で洋画を見る。世の中には、うらやましい才能をもった人が沢山いるものだ。目の保養になった。
晴れ


2001/07/14(土)  寺部おさむ会総会
 司法書士としての仕事の不遇を嘆いていたら、不思議と、契約書や内容証明の作成の依頼あり。
 夜、寺部おさむ会の総会。思いきって、私の小泉政権論を20分語る。「そこまで考えているのだったら、参院選に立候補すべきだった」という、真面目な意見もあったから、概ねは理解してもらえたと解釈する。地元おさむ会であるが故の良い雰囲気だった。
晴れ


2001/07/13(金)  暑いためか・・・
 午前から午後にかけて、2件の葬儀のハシゴ。一昨日の1件を加えると、いづれも高橋町の高齢者で、連続3件。やはり猛暑のためだろうか。
 その後は、久しぶりに司法書士稼業。やはり本業の仕事があった方が、精神衛生上好ましい。
晴れ


2001/07/12(木)  参院選公示日
 ほぼ終日、愛知県選挙区に立候補した佐護さん(社民党)の、公営掲示板へのポスター貼り。私は、昨年9月に、民主党を標榜するトヨタ労連に共同行動を拒否されてからは、どの政党にも属していないから、ポスターを貼ることと佐護さんに投票することとは別問題だが、かつてのこの町の社会党(=社民党)員とは、いまでも親しい関係にあるので、割り切ってのお手伝い。久しぶりに長時間運転し、くたびれた。
 でも、心底から夢中になれる候補者をもたない国政選挙ほど、むなしいものはないというのが実感だ。
 
 
晴れ時々曇り


2001/07/11(水)  小3の授業 市民の会
 午前、3年生に、校区の今昔について喋ってほしいという授業をしに、寺部小へ。事前に30数個の質問項目をもらっていたので、いきなり自分なりの回答を言いはじめる。結局2,3の項目を残して時間切れ。最後まで、小3の理解力の程度がわからないままであった。
 夜の市民の会。常連の9名のうち、2名が欠席、2名が大幅遅刻で、なんとも締まらない会合だった。岡田市議の委員会視察報告をネタに、結論なき雑談。また、来週から出なおしだ。
晴れ


2001/07/10(火)  挙母おさむ会役員会
 寺部小から、3年生の授業で、寺部小校区の今昔について話すことを依頼されており、こどもたちの質問事項を昨夜もらったので、午前中はその下調べ。こどもの関心が意外なところにあることを知り、驚きうろたえる。その「授業」は明日。
 夜、挙母おさむ会役員会。メンバーが市役所の旧現の現業職員だから、公営事業の民営化には、本能的に拒否反応することが予想されるので、小泉さんの郵政民有化論について、私が単純な反対論者ではないことを語り、理解を得たつもり?。ややっこしいが、しばらくはこうしたやりとりを続けていかざるを得ないと思う。
晴れ


2001/07/09(月)  鞍ヶ池水利組合理事会
 明るいうちは、渡辺守綱公顕彰会や高橋中学校同窓会関係の周辺事務処理など。
 夜、鞍ヶ池水利組合理事会。地域における任意農業者団体である水利組合の存在価値は、時代の推移とともに低下している。その存在価値を組合員に、どうしたら認識させ得るかが、主な議題。
 議論百出。組合員の地区集会の案内状の作成を依頼される。
晴れ


2001/07/08(日)  市木川クリーン作戦
 朝8時、恒例となった高橋地区コミュニティ会議主催の「市木川クリーン作戦」を見学。こうした行事が長続きして、流域の人々がたとえ一時でも、川の存在を意識することはよいことだ。中学生の動きが悪いなどという、年寄りじみた愚痴は言うまい。
 ただ、私が市会議員当時、市区画整理課の提案に同調してやってしまった川の中央に水路を造ったような河川工事は失敗だったと、つくづく感じた。県会議員選で雪辱できたら、何とかしてやり直させねばならないと思った。
 後は、もっぱら「おさむ会ニュース」の原稿書き。最も迷ったのは、小泉政権の評価だが、妻が、「黙っているよりは、ハッキリ語るべきだ」と言ってくれるので、読者の判断に任せることにする。
晴れ


2001/07/07(土)  Ca21運営委員会
 午後、市民自治あいち21の運営委員会(名古屋市内)。
 もともとこの会議は、三重県某所での一泊二日の合宿として提案されたのだが、女性委員の「酒飲みのグダグダ話は時間のロス」という意見で、午後3〜4時間の会議として設定し直されたもの。結果論で言えば、合宿形式が正解だった。
 1時間遅れの開会、15分早めの閉会だったこともあって、私が議論の素材だけを提供したローカルパーティ論は継続審議に。
 個性が強い「リバタリアン」の集まりの中では、いまや旧世代に属するオールド新左翼としては、内心イライラ。
 でも、自分の義務は果たした感じなので、これからの議論が楽しみではある。
晴れ


2001/07/06(金)  公開討論会
 夜、「参院選立候補予定者による公開討論会」(名古屋市女性会館)を参観。
 愛知選挙区での、自民、民主、公明、社民、公明、自由の各党の候補者が出席。会場もマアマア満席に近く、催し物としては成功だろう。
 討論の流れとしては、やはり小泉政権をバックにした鈴木氏が中心的存在だったが、民主、社民の間で選択を迷っていたので参考になった。大塚君の、万博について賛否を保留した率直さ、価値観として米と欧州を対立させた整理の仕方に好感が持てた。
 ただ、どの候補者からも、地球環境と経済成長の深刻な矛盾についての言及がなかったのには、ガッカリ。やはり、緑の党が必要だ。
 
曇り時々雨


2001/07/05(木)  トヨタのサービス残業は氷山の一角
 トヨタ自動車(株)の営業部門でのサービス残業の問題が表面化した。報道を読んでの問題点は2点。
 1つは、この問題はトヨタにとっては氷山の一角に過ぎないこと。すべての工場の事務部門と、労働時間がファジーである技術部門では、むしろサービス残業が常識であるそうだ。十数人で構成されるある事務部門では、サービス残業によって年間2人分の人件費が節約できたと、責任者が喜んでいたという話も聞いた。
 2つ目は、是正に寄与したのが労基署であり、労働組合の存在が全く見えないこと。この機会に、トヨタ労組は、全組合員についてサービス残業の有無について実態調査をすべきだ。そして、会社側と団交に及ぶべきだ。蛇足だが、組合員が組合=会社と認識しているため、正確な実体調査ができないととすれば、もはや問題外であるが。
晴れ


2001/07/04(水)  市民の会休会、特記事項なし
 岡田市議が委員会視察のため、今夜の市民の会は休会。お陰で昨日からの、同窓会長としての区長宅訪問が完了できた。
 中日新聞の朝刊に、小泉内閣支持率88%と出た。驚くと同時に、自分の原稿が進まないことに焦る。
 明日は頑張ろうと思う。

晴れ


2001/07/03(火)  トヨタ労組は抗議声明を
 朝刊で、先のトヨタの自殺労災適用裁判に対して、豊田労基署が控訴すると知る。物事の重さにおいて、ハンセン病裁判の控訴断念を帳消しにする行政行為だ。何よりも、トヨタ労組は抗議声明ぐらいは出すべきだ。わが国の上級審は信用できない。小泉さんがどんなにカッコ良くても、日本社会は何も変わっていない。
 夜、高橋中同窓会総会のチラシの回覧要請のために、7時半から9時半にかけて、五ヶ丘の8つの自治区長宅を訪問。何と本人に会えたのはただ1人。1人は入浴中、1人は他に所用。5人は勤務中とのこと。モーレツ社員はいまも健在だった。邪推だが、リストラの対象にならないためにも、一生懸命頑張っているのだろう。オランダのワークシェアリングでは、1人でできる仕事を2人でわけあって(ただし労働時間が半分になっても、それに比例した雇用保険や社会保険は、保証されている)、半分の収入で我慢して、雇用を増やしているそうだ。リストラに遭わないために、仲間より長時間働かざるを得ないという社会構造は、どこかが間違っている。
晴れ


2001/07/02(月)  増えるのは吸殻ばかりなり
 小泉政権の評価について何かを書くのを、ほとんど義務と思って書き出したが、なにせご本人が「改革、改革」と叫ぶだけで、その具体的な中味がはっきりしていないから、何を書くにも付帯条件を付けざるを得ない。そうしていると、文章は長くなるが、論点は散漫になる。しかも、文章を発表するのは、参院選の開票直後という設定だから、ますます厄介だ。間違ったことを書いたら、あとから「済みません」と言う覚悟でやるより仕方ない。
晴れ


2001/07/01(日)  茶会、無事に終わる
 今日はいよいよ、渡辺守綱公顕彰会創立15周年記念茶会。
 自ら言うのもおかしいが、成功裡に終わったという思い。その第1の原因は、天候。晴れた上に風があって、意外と暑くなかった。空調設備がない又日亭にとっては、絶好の気象条件だった。第2は、各理事が、それぞれの役割をキチンと務めてくたこと。理事のすべてが、会長である私よりも年上なのだから、その協力性には頭が下がる。
 取り敢えず、いい気分。明日から、「おさむ会ニュース」の原稿書きという厄介な仕事が待っている。

晴れ


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