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日記

( 2001/09 ← 2001/08 → 2001/07 )


2001/08/30(木)  内藤さんの葬儀
 やはり大きな葬式だった。
 故人に対して批判がましいことを言うつもりは全くないが、ゼネコンや開発業者の累々たる生花には閉口した。ゴルフ場反対運動で孤軍奮闘していたときに、内藤さんが知恵を貸してくれたと感激していた女性を式場で見かけただけに、複雑な思いだった。
 朝刊で、「愛知県下で、環境ホルモン、全国最高水準」という報道があった。原因不明というのが余計に不気味だ。私が、「愛知県には環境万博をやる資格はない」と言ってきた一つの根拠がここらにもある。
 
晴れ時々曇り


2001/08/29(水)  きょうの市民の会
 9月15日に、豊田市消費者グループ連絡会が開催する「ダイオキシンの夏」の上映会について、市民の会として入場券50枚を購入して、市民に参加を呼びかけることを決定。事務局会議の出席者の自主申告で割り当てると、1人5〜10枚となったから、何とかなりそうだ。
晴れ


2001/08/28(火)  内藤連三氏逝く
 矢水協の内藤連三さんが亡くなられた。昭和40年代の半ばに、氏の指導で連携しながら、山砂利業者への夜間パトロールをした者としては、いろいろなことが思い出されて感慨深い。
 晩年の氏に対しては、矢水協を私物化しているのではないかという批判があったが、氏の強烈な個性なくしては、矢作川の今日はなかったことは間違いない。
 ただ、矢水協=内藤連三であったことは否定できないから、氏の亡き後は、矢水協の組織の性格が大きく変化せざるを得ないと思われる。矢作川の将来を考え、その動向に注目していきたい。
晴れ


2001/08/27(月)  特記事項なし
 国立の大阪教育大学付属池田小学校の始業式報道に頭にくる。
 なぜ仮説校舎が必要なのだろう。一説には、新校舎建設の話まであるという。もし、財政力が貧困な自治体の小学校で同じ事件が起きたら、どうしろと言うのか。
 こどもたちがあの事件で受けた精神的被害の重大さはわかる。しかし、その精神的被害の傷痕を物理的になくすことが、本当の解決になるのだろうか。世の中には、同じように過酷な事件は他にもある。その事件の傷痕をその都度なくすことは不可能だ。
 殺されたこどもたちの遺族には言う言葉がないが、始業式に臨むことができる関係者に言いたいのは、事件が起きた経過を誠実にこどもたちに伝え、事件を起した加害者についても、その存在を抹殺するのではなく、その更生に期待する意味をこどもたちに伝えることではなかろうか。
なくすべきは、池田小学校の旧校舎ではなく、池田小学校そのものだ。この機に、全国の国立の小・中・高の学校をすべて自治体に移管すれば、小泉改革の路線にも合致し、変なエリート意識もなくなる。
 被害者意識だけを重視した対応策には、腹立たしい限りである。
晴れ


2001/08/26(日)  郵貯について
 全逓碧海支部の定期大会に案内をもらったので、喜んで出かけた。
あいさつで、「みなさんが一生懸命集めた郵貯・簡保の資金が、財政投融資という形で、自然破壊の公共事業に使われていることをどう思いますか」という趣旨の問題提起をしてみた。その後、知り合いの支部の幹部から、個人的に継続して議論をしたいという話があった。徹底的に議論をして信頼関係を深めるという試みに挑戦してみたいと思う。
 
曇り


2001/08/25(土)  県会議員としての評価
 昼間、小・中学校の同年生の葬儀があった。一度も同じクラスになったことがなく、これといった付き合いもなかったが、聞けば、肺ガンだったそうだ。彼はタバコも吸わず、頑固だがおとなしい性格だった。ヘビースモーカーであるわが身を振り返って、「憎まれ児世にはばかる」という言葉が浮かんできた。同時に「そんな歳になったのか」という思いもあった。
 夜の後援会の役員会で、「小林君は、地元のために何をしてくれた」という批判があるよ、ということが話題になった。正直に言って、市会議員の時はともかく、県会議員としては、あまり地元のことを意識したことがない。地元利益誘導型の議員は好きではない。開き直って、「じゃあ、倉知、片桐、三浦の各議員が何をしてくれたのか」と反問したら、回答はなかった。そろそろ有権者も、議員の評価の仕方を見なおしてほしいものだ。
晴れ


2001/08/24(金)  読書
著者からの要請で購入した、長岡進著「武陵桃源への道ーある中国残留日本人女性の生涯」(鳥影社刊)を読了。第一印象を一言で言えば、著者の考え方をよく知っているだけに、小説の主人公の気持ちよりも、著者の主張がよく理解できたという感じ。何よりも640頁の大書を世に送った著者に最大級の敬意を払いたい。
晴れ


2001/08/23(木)  特記事項なし
 石原行革担当相の私的諮問機関「行革断行評議会」が、道路4公団の分割民営化案をまとめたという。大筋としては歓迎すべき方向だが、問題は、4公団の資産と債務を引き継ぐ独立行政法人「日本道路保有機構」が、本当に30年間で債務の償還ができるかだ。ちょうど豊田市の中心市街地への48億円の融資が、やはり30年償還を前提にされているように。
 この問題をめぐっては、今後、永田町の政治家や霞ヶ関の官僚との間で、つばぜりあいがあると思うが、最も大切なことは、国民への徹底した情報公開だ。特に、30年償還の実現可能性についての詳細なデータの提供がなければ、是非の判断のしようがない。
晴れ


2001/08/22(水)  きょうの市民の会
 11号は、典型的な雨台風になった。市内の被害はほとんどなかったようだ。昼過ぎから、晴れ間が戻った。矢作ダムの節水も解除になった。
 「市民の会」で自主上映をする予定であった、アニメ「ダイオキシンの夏」の映画会は中止することになった。豊田市消費者グループ連絡会が、9月15日に300円という格安で上映会をすることが分かったからだ。1000円以上のチケットを一生懸命に捌いて、市民運動として上映会を成功させようと覚悟していた立場からすれば、複雑な気持ちだが、これも豊田市の現実。300円の上映会を企画した人たちも善意に違いないのだから、この上映会に協力しようということになった。
台風


2001/08/21(火)  台風11号
鳴り物入りの台風11号だが、上陸時点になって珍しい迷走だ。台風が東に来れば風、西に来れば雨が常識だが、どちらに備えるべきか、いま現在(21時)、よくわからない。不貞腐れて寝ちゃった方がいいのかも知れない・
台風


2001/08/20(月)  特記事項なし
終日、延ばし延ばしにしておいた司法書士稼業の処理。
台風に備えて、ラジオの用意だけはした。
晴れ時々曇り


2001/08/19(日)  下水道神話
午後、「虹と緑」地方自治政策センター東海ブロックの、「自治体行政を圧迫する下水道神話」と題する学習会のため名古屋へ。
講師の話は、ほとんど問題意識が同じなので、わかりやすかった。というよりも、かつて境川流域下水道反対運動をしているころに、中西準子さんが、合併浄化槽に個人下水道という概念を付与して、大規模下水道は金の無駄遣いと論じていたのと、まったく方向を一にする。当時は、建設省や厚生省に、単独浄化槽ではなく合併浄化槽を認めさせるのが、大変な運動だった。
隔世の感の思いとともに、運動の理論的蓄積の継承が、思いの外難しいものだと痛感した。
曇り


2001/08/18(土)  旅行無事終了
何事もなく、旅行は無事終了。渋滞もなく、予定より早めの帰還となった。
夜は、おさむ会企画会議。参院選の公明党の票をみて、次の選挙が極めて厳しいことをあらためて確認。
気心知れた仲間だけに、談論風発。ストレス解消となる。
晴れ


2001/08/17(金)  平湯温泉へ
寺部・高橋・高上おさむ会の有志と一緒に、奥飛騨温泉郷・平湯温泉へ。もやは恒例となった旅行だが、企画から参加者募集と働いてくれた人と、それに応えてくれた参加者に頭が下がる。遠慮なくリフレッシュの機会にしたいものだ。
晴れ


2001/08/16(木)  特記事項なし
午前中に、司法書士稼業を終えてしまって、午後は、読書にあてようと思ったが、結局、読書ができたのは、午後4時過ぎだった。夜は、NHKドラマスペシャル「少年たち2」を見る。そして早めに就寝。
晴れ時々曇り


2001/08/15(水)  河宮さんの本
朝の郵便で、河宮信郎さんから同氏の「日本『国家更生法』(試案)・・・「小泉改革」を超えてT」(太田出版 本体1500円)
が送られてきた。グローカル・フォーラムという勉強会で数回報告を受けた内容だから興味深い。ただ、寝転んで読めるような本ではない。
こういうときに限って、本業の仕事がたまっているものだ。近いうちに、読めるまとまった時間を取りたいものだ。

晴れ時々曇り


2001/08/14(火)  停電
久しぶりに8時30分起床。気分スッキリ、やっぱり朝寝は健康によい。
午前中2時間、中電の工事で停電。太陽光発電が使えるかと思ったが、中電との売電契約の関係でダメだった。ガッカリ。
午後、Ca21のための原稿書き。運営委員会の論議のメモ程度の内容だが、自分が喋ったことしか覚えていない。身勝手というか、健忘症というか、自信がない原稿となった。
晴れ


2001/08/13(月)  盆の入り
盆踊り大会の後片付けに、朝6時と午後4時とに顔を出した。
夕方は、墓参り。
早起きすると、1日中調子が狂う。結局ゴロゴロと過ごすことになった。「早起きは三文の得」という諺は、私にとっては全くの嘘だ。
小泉首相のきょうの靖国参拝は、予想の選択肢の中のできごと。小泉さんがなぜ参拝に拘るのか、私には理解できないが、事前に出された「談話」には、見るべきものがあった。
晴れ


2001/08/12(日)  高中同窓会総会
10時から、高橋中学校同窓会の3年に1回の定期総会。
記念講演の講師は、第7回卒業生である鈴木公平豊田市長。市長に講師を依頼したので、最大収容人員百名の図書館をクーラーがあるという理由で会場にしたことが良かったかどうか、最後まで不安だったが、結果は約70名の出席でまあまあ格好がついた。会長職も留任の承認を得る。
市長の話は、見解を異にする点が多々あったが、多少の愚痴も交えながら率直な内容で、彼の心情はそれなりに理解できた。
夜は、寺部町盆踊り大会の二日目。例年どおりの雰囲気か。司会進行を引き受けたジュニアクラブ育成会の、かつてのギャルの元気のいいこと。こども会育成会の若母連の方が負けそうだった。
曇り時々雨


2001/08/11(土)  いろいろなこと
朝6時、先週に引き続き、寺部町の盆踊りの準備に組長として参加。
朝食を済ませた後、保見団地への「ニュース」配布。すでに6名の同志が6時から実施していて、私は、乙部団地の配布のみに参加。同志と一緒に昼食。
13時30分から法律相談の約束があり、あわてて帰宅。
夜は、寺部町盆踊り大会の初日。1時雨があったが、まあまあ例年どおりの賑わい。
晴れ時々曇り


2001/08/10(金)  藤井鉱山跡地
午後からようやく雨が降った。でも、矢作ダム集水地にどれだけ降ったかが問題だ。
午前中、岡田耕一市議を誘って、豊田加茂広域圏が藤岡町地内で準備している一般廃棄物埋立て処分場の予定地の見学。広域圏職員の案内で、藤井鉱山跡地へ。鉱山跡だから、大きな凹地があると思っていたが、意外に平坦であることに、土地の広さとともに驚く。
近くに住んでいる知り合いに意見を求めると、誰もが処分場などを歓迎するわけがないが、鉱山は閉山してしまったのだから、鉱山側の任意の処分に任せて、民間の産廃業者や、変な工場がきたら、そちらの方が心配だ。豊田市が中心の広域圏が相手の方が、何があっても責任を取らせ易いのではないか、という話。
極めて悩ましい判断をされているのだろう。
曇り時々雨


2001/08/09(木)  特記事項なし
まさに特記事項なし。
ただ、なぜ雨が、降りそうで降らないのだろう。
晴れ時々曇り


2001/08/08(水)  サッカー観戦車はどこへ行った?
午前10時、豊田スタジアムの建設費増額問題に関して、「市民の会」として情報公開請求していた、JV側から市に提出された増額要望書を受け取りに、岡田市議と市役所へ。
あっさりと、金額入りの要望書が公開された。それによると、JV側の当初の要求額は46億円余りだった。その文面によると、交渉の途中で市が29億円は認めたとも読み取れ、夜の「市民の会」で議論になった。
それもさることながら、児嶌課長に、8月4日の東西対抗戦での交通
アクセスの状態を尋ねたら、電車利用者が約13,000人、シャトルバス利用者が8,000人、自転車・徒歩が1〜2,000人で、しかも試合時間帯の下町の有料駐車場の利用率は48%だったそうだ。その上、違法駐車の苦情も、周辺の農道を除いては余り耳にしない。
全体では4万人の入場者だったそうだから、その余の車はどうなったのかと尋ねると、児嶌さんは、「おそらく、大型の駐車場をもっている周辺のスーパーやパチンコ屋に迷惑をかけたのではないか」と語ったが、夜の「市民の会」で、高橋ジャスコは駐車場が満杯ではなかったと聞いた。一体、15,000人分の車はどこへ駐車したのだろう。摩訶不思議な話だ。
晴れ時々曇り


2001/08/07(火)  馬鹿馬鹿しいこと
日記として広言できる特記事項なし。
1.東京都教育委員会が、養護学校に「つくる会」の教科書を採用したことほど、馬鹿馬鹿しいことはない。問題の教科書は、他の教科書に比べて、ただでさえ記述が難しいと言われているのに、養護学校で使えとは、何を考えているのだろう。都教委の採択権限が養護学校にしかないので、教育委員が石原知事にへつらったのだろう。こうした教育委員の存在こそが、日本の学校教育をおかしくしてきたのだ。
2.夕刊で、国立広島原爆平和祈念館の説明文から、「国策を誤り」という一節を厚生労働省が削除させたと報道された。これまた馬鹿馬鹿しい話だ。戦争責任論が政治的な話題になるたびに思うのだが、不毛な論争を避けるには、とりあえず95年の村山談話をパブリック・オピニオンとして認めることだ。この談話は自社政権で閣議決定されたものだから、自民党にも異存はないはずだ。このパブリック・オピニオンを共通の認識の出発点として、パブリック・オピニオンへの賛否論として議論されれば、論点がスッキリすると思うのだが・・・
曇り時々雨


2001/08/06(月)  特記事項なし
午前、司法書士稼業で、書類作成の下調べなど。
午後、同じく司法書士稼業で、異母兄弟の財産をめぐる厄介な相談業務。関係者を集めての話し合い。その後、「ニュース」のポスティング。
夜は、月曜日によく送られくる各種団体の機関紙などに目を通す。
きょうも、降りそうで降らなかった。平成6年の大渇水のときに、騒ぎとは無関係に、木曽川にとうとうと水が流れていたという事実を知っているので、農業用水の節水さえ徹底されておれば、人の生き死にの問題にはならないと思ってはいるが、ダムの集水地域に一雨ほしいことには違いない。

晴れ時々曇り


2001/08/05(日)  ローカル・パーティ論議
朝7時から、天神墓地(大字管理墓地)の清掃。
10時からは、五ヶ丘で「ニュース」ポスティング。
午後は名古屋で、Ca21の運営委員会。議題は前回(7月7日)に引き続き、ローカル・パーティにどう取り組むか。
結論は、畏友O氏の積極論に引っ張られて、準備委員会を設立することに。やる以上は本気でなければならない。そのためには、自分の時間と金をどこまで振り向けられるのか、生活スタイルを真剣に検証しなければならない。できるだけ早く自分自身に回答を出したい。
晴れ


2001/08/04(土)  盆踊りの季節
朝6時から、11〜12日が本番の寺部町盆踊り大会の櫓準備に、組長の1人として出る。新しく寺部をふるさととした若い組長さんが、積極的に仕事をしていた。出てきた以上、アイデンティティを確保したいというのが、いまの若者の心情かも知れない。オジンたちが、ここを理解できれば、いい地域ができそうな気がした。
夜は、案内があった県営初吹の盆踊りへ。会場がアスファルトの駐車場のために暑かったが、こども中心の楽しい雰囲気の盆踊りだった。でも、主催者側と思われるグループが、こども相手にカブトムシとザリガニを売っていたのには驚いた。自然と子供との断絶。それを媒介するのが貨幣とは、何とも複雑な思いだった。
晴れ


2001/08/03(金)  「おさむ会ニュース」のポスティング
夜、三志おさむ会の役員会。協議事項は、「おさむ会ニュースbU」の各戸配布の件。落選後、郵送料が大変だろうと、各戸配布を積極的に提案してくれたのがこのグループで、今回は1万戸を目標にしてくれるという。ただでさえ猛暑の中、この努力には頭が下がる。私自身は何回やっても選挙は好きになれないが、こうした仲間の姿勢をみると、嫌でも頑張らねばと思う。
晴れ


2001/08/02(木)  あいち万博中止の会
影山健さんから、これからの万博反対運動をどうするかをテーマとする会合に誘われて、夕方から名古屋へ出かける。
議論の焦点の一つが、「共産党との関係」問題。私は、完全な個人参加による組織を提案してみたが、出席者は、影山知事選挙を通じて共産党との信頼関係ができている人ばかりで、無意味だった。しかし、影山選挙で、それまでの万博反対運動が大きく分裂したことは事実だ。私自身は、個別問題で共産党と共同行動することを全否定はしないが、万博反対運動を再構築するには、ものすごく厄介な作業だが、影山選挙で離れていった人々との関係を修復する必要があると思うのだが。
きょうスタートが確認された「あいち万博中止の会」も、このままでは、これまでの運動の縮小再生産に終わるような気がしてならない。

晴れ


2001/08/01(水)  きょうの市民の会
夕方、短時間に強い雨が降ったが、まだまだ足りない。
市民の会の事務局メンバーの1人が、都市計画審議会の議事録作成の基になった録音テープの公開請求をした。元々、テープを文章化して公開することを請求したのだが、規則に規定がないと拒否され、テープそのものの公開請求となった。市側は公開には応じたが、あくまで「聴取」に限るとして、ダビングテープは渡さないという。理由は、規則に規定がないからだそうだ。
規則に規定がないのは、制定時に、テープの公開を想定していなかったために過ぎないのではないか。規定がなければ、市民の立場になって先例をつくればよいのだ。官僚は上から下まで困ったものだ。
晴れ


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