2001/08/27(月)
特記事項なし
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国立の大阪教育大学付属池田小学校の始業式報道に頭にくる。 なぜ仮説校舎が必要なのだろう。一説には、新校舎建設の話まであるという。もし、財政力が貧困な自治体の小学校で同じ事件が起きたら、どうしろと言うのか。 こどもたちがあの事件で受けた精神的被害の重大さはわかる。しかし、その精神的被害の傷痕を物理的になくすことが、本当の解決になるのだろうか。世の中には、同じように過酷な事件は他にもある。その事件の傷痕をその都度なくすことは不可能だ。 殺されたこどもたちの遺族には言う言葉がないが、始業式に臨むことができる関係者に言いたいのは、事件が起きた経過を誠実にこどもたちに伝え、事件を起した加害者についても、その存在を抹殺するのではなく、その更生に期待する意味をこどもたちに伝えることではなかろうか。 なくすべきは、池田小学校の旧校舎ではなく、池田小学校そのものだ。この機に、全国の国立の小・中・高の学校をすべて自治体に移管すれば、小泉改革の路線にも合致し、変なエリート意識もなくなる。 被害者意識だけを重視した対応策には、腹立たしい限りである。
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