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日記

( 2001/10 ← 2001/09 → 2001/08 )


2001/09/30(日)  万博問題
 愛知万博については、10月初旬に「基本計画」、11月下旬に「実施計画」が発表され、それを携えて神田知事が11月30日のBIE総会に出席して、承認を得るという手はずになっている。
 この両計画をキチンと批判して、万博中止・撤退の世論をどれだけ喚起できるかがポイントになる。やらねばならいことはわかっているが、どのように、どこまでできるかが悩ましい。
 そのための2度目の小人数の会合が名古屋であった。運動の成功・失敗は二の次にして、とにかく一歩をはじめてみようということになった。実質的には、また「トヨタ」が相手だ。私にとっては、重い運動だ。
雨


2001/09/29(土)  苦闘の労働運動
 名鉄東部交通労組から招きがあって、定期大会に出席した。浪人中の情報不足でロクなあいさつもできなかったが、委員長や名鉄労連のあいさつから考えさせられることが多かった。
 名鉄関係の各企業の業績からすれば、「会社に無理な要求をして、会社を倒産させてしまっては、元も子もなくなる」という論理に、おかしいと思っても反論できない。やはり企業内組合の所以なのだろう。その限界を打破するには、連合がしっかりせねばならない。連合の側から大胆な「ワークシェアリングによる雇用維持政策」がでないものか。
晴れ


2001/09/28(金)  Ca21運営委員会
 午前、寺部町老人クラブ「豊寿会」の誕生会。区長が欠席したのを幸に、加茂病院の移転問題をあいさつの材料に。
 夜、Ca21運営委員会。10月5日の総会の準備。現状では、ローカルパーティに突進するしかない。展望があるわけではないが、やってみなければ、主観的にも客観的にも決着がつかない。
晴れ


2001/09/27(木)  西三河旧社会党議員団会議
 午後から、知立で見出しの会議。参加者は、知立2、岡崎2、高浜1、豊田1で、安城1が欠席。
 各市の9月議会の報告があって、夕刻から懇親会。
 一時はメンバーが10名を超えた会合であった。社会党が歴史的役割を終えたことは納得できるが、その歴史の終え方はやはり間違いではなかったかと、つくづく思う。メンバーは、民主党、社民党、新社会党、それに私みたいに無所属と、いまの「戸籍」はさまざまだが、
議員として市民に対するスタンスは、ほぼ同一。このメンバーが所属を異にしなければならない政党の変遷こそが問題だ。
 気持ち良く痛飲した。
晴れ


2001/09/26(水)  きょうの市民の会
 話題の一つの焦点は、10月24日の、豊田・東西加茂の小中学生を豊田スタジアムに集める行事の話。教育者がこんな馬鹿な行事をなぜ考えたか、全く理解できない。
 私が一番頭にくるのは、校長の主体性の無さだ。文部省はこの2、30年、本心は日教組対策として、表面は教育の荒廃を改善するためと称して、校長の権限を強化するために腐心してきた。そのために、職員会議も単なる伝達手段になってしまった。そうであるならば、今回の行事に参加するかしないかも、校長の判断で何ともなるはずだ。
 校長が、真に児童・生徒を我が子と考える気持ちがあれば、この行事がこどもたちのためになるかどうかを考え、マズイと思えば不参加を表明すればよい。そのことによって、校長の教育委員会でのおぼえは悪くなるかもしれないが、教育界で校長になること以上の立身出世はないはずだ。然るべき地位を得た人の自己責任の原則。これを校長が示せないようならば、こどもたちに何を教育しても無駄だ。
晴れ


2001/09/25(火)  あいちゴミ仲間・処分場部会
 午後名古屋で処分場部会に、岡田市議とともに出席。
 先日豊田市相手に行った情報公開への異議申立ての論理を理解するために。
 いろいろな情報交換があったが、愛知県当局の廃棄物担当者のやる気のなさが目に見えるようだった。行政を動脈部門と静脈部門に分けるとすれば、静脈部門に日を当ててこなかったツケが回ってきている。これで「環境万博」をやろうと言うのだから、ほとんど信用できないのだ。
晴れ


2001/09/24(月)  特記事項なし
 この数週間、司法書士業の合間をみて、再来年の選挙戦に備えての文書を書いていて、ようやく書き終えたがどうも自信がない。信頼できる人に、とりあえず読んでもらおうと思う。
 夜、11月11日予定のバーベキュー大会のための、寺部・高橋町おさむ会の合同3役会議。心許せる人ばかりの集まりとあって、私も飲んで、挑発的な発言をした。
晴れ


2001/09/23(日)  マレット・ゴルフ
 朝から、高橋おさむ会行事のマレット・ゴルフ大会を根の上高原で
。全く初めての経験だったが、楽しかった。こうした新しい企画をして、実行してくれる同志に心から感謝したい。
 夜、某氏と万博問題で長電話。期待されていること大らしく、あらためて重圧を感じる。
晴れ


2001/09/22(土)  高中運動会
 午前中、高橋中の体育大会を同窓会長として参観。楽しかったが、やはり女生徒の方が元気がいいように見えた。
 午後は、彼岸の墓掃除と墓参り。
晴れ


2001/09/21(金)  大統領演説
 車のラジオで、米国会でのブッシュ大統領の演説を聞いた。まさに、「鳴り止まぬ拍手」の連続であった。対日開戦前夜のフランクリン・ルーズベルトの国会演説の時も、恐らく同様の雰囲気であったのだろう。物質的だけでなく、精神的にも、日本は負けるべくして負けたと、あらためて感じた。
 しかし、一時的な熱病ではないかという感じは、どうしても否定できない。冷静になるのには、どうしても時間が必要だ。
晴れ時々曇り


2001/09/20(木)  特記事項なし
 相変わらずの要領の悪さもあって、日中は司法書士稼業、それも準備作業で終始してしまった。
 夜は、10月21日開催予定の「第18回寺部町親睦第運動会」のための町内寄り合い。
晴れ


2001/09/19(水)  きょうの市民の会
 市議会9月議会の閉会日とあって、岡田市議から盛り沢山の報告。
特筆すべきは、加茂病院の移設立地の話。特別委員会で、司町付近(御幸地区)と豊田スタジアムの東の上野地区の2カ所が候補になっていると報告があったとのこと。3年ほど前、地元の区長から相談があって、「病院は高橋地区へ」という要望書を書いたことを思い出す。「サッカー場みたいな変なものを造ってしまったのだから、せめて近くに罪滅ぼしになるようなものを造れ」というのが、私の率直な気持ちだ。
晴れ


2001/09/18(火)  情報公開条例
 午前、8月2日に請求した2つの産廃業者に関する情報公開に対し、ようやく部分公開された。この請求は、豊橋市でウミガメを殺してしまうような悪水を出している業者があって、その業者との関連を
調べようというのが目的であったが、法人のプライバシーの保護との理由で、請求した業者以外の名は公開されなかった。法律論として難しい問題だが、割り切れない気分だ。
晴れ


2001/09/17(月)  特記事項なし
本当に久しぶりに、司法書士として、売買取引立会いの仕事があった。ただそれだけ。
晴れ


2001/09/16(日)  森を愛する会
 朝、自治区の環境美化活動で広場の草取り。一途に働く人も、適当にする人もいたが、人海戦術の威力を感じた。区長のあいさつの通り、見違えるほど綺麗になった。
 午後、遺産分割の相談、2件。何事も正直主義がよいと言ったが、「正直に言えば、悲惨な争いになる」という反応。兄弟争いは、他人間の争いより始末が悪い。
 夜、森を愛する会の会合。足助町の間伐・木工体験の行事への協力が主要議題。「間伐作業はどうしても継続せねばならぬ」と力説した。その後は、「同時多発テロ事件」を話題に談論風発。人が考えることにはそれほど差異はないと痛感した。
晴れ


2001/09/15(土)  敬老会・「ダイオキシンの夏」
 午前中は、寺部町の敬老会。派手さはないが、寺部らしい穏やかないい敬老会だった。
 その後、アニメ映画「ダイオキシンの夏」の観賞。アルコールが入っていたため、途中居眠りしてしまったが、理屈より情に訴える内容に議論がありそうだ。会場に空席が目立ったのが残念だった。
晴れ時々曇り


2001/09/14(金)  やっぱり、サティが・・・
 マイカル(サティ)が民事再生法申請へ。そうしたら株価が跳ね上がったそうだ。よほど、マイカルは市場に嫌われていたらしい。
 「豊田市当局は、またもや税金を融資して、名鉄百貨店を誘致。」隣が名鉄ホテルだけに、こんな結末が目に浮かぶ。いかに財政力が日本一の自治体とはいえ、こんなことを繰り返していたら、福祉・医療・環境・地域社会づくりはどうなってしまうのだろう。
晴れ時々曇り


2001/09/13(木)  「特記事項なし」と言うべきか
 訪問者があったり、依頼者宅に出かけたりで、司法書士業務に関連する数件の相談事。その合間にNHKテレビ。また、日本の国際貢献をどうするかが焦点となりそうな雰囲気。「テロ撲滅」の地球的ファシズムになりそうで、嫌な気分だ。
晴れ


2001/09/12(水)  きょうの市民の会
 前座はやはり、アメリカで起こったテロ事件の話。
 「テロは絶対に許せることではない」という前提で、最近のブッシュ政権のわがままぶりも反省してもらわねば困る、というのが多数意見。
 岡田市議から、市内の教員グループから「10・24『豊田スタジアム記念事業』を考える会」の案内があったと報告があった。同事業は、豊田・東西加茂の全小中学生4万5千人を一同に集めて、名古屋グランパスの紅白試合やマーチングバンドを見せるもの。教育現場から批判がでるのは当然のこと。活躍を期待したい。
晴れ


2001/09/11(火)  特記事項なし
 某氏と某所で、第1次直接請求署名運動以降の万博反対運動の経過の説明を受け、今後のあり方について話し合う。何とかしなければという気持ちはあるが、何が有効か分からず、イライラと迷っているというのが率直なところだ。きょうのところは「特記事項なし」としておこう。
晴れ


2001/09/10(月)  ハイビジョン・テレビ
夏の「平湯温泉の旅」の参加者から、「当日のビデオができたので見せたい」という誘いがあったので、お邪魔した。なんとハイビジョン
テレビによる再生であった。大変綺麗な画面だった。マニアを自称するその人との話からは、ビデオの水準はここまできているので、普通のテレビでは見せたくないという感じだった。
雨


2001/09/09(日)  特記事項なし
本当になにもない、久しぶりにのんびりした日曜日だった。こんな時間があるときには、若干でも知的労働をしなければと思いながら、台風の影響か、ぶり返しの気分の悪い残暑に、「暑い、暑い」で終わってしまった。
晴れ


2001/09/08(土)  広範な国民連合愛知総会
 名古屋で、自主・平和・民主のための広範な国民連合愛知の第7回総会。名大法学部教授佐々木雄太氏による「日米同盟の50年と日本の進路」と題する記念講演。講師が私と同世代であったので、特に目新しい知識を得たわけではないが、自分の考えを整理するのに有意義な講演だった。
 その後の総会の議論の中で、名古屋空港の買収について愛知県が優柔不断であるとの意見があった。県が放置すれば、自衛隊の権限が拡大してしまうという関係にある。県が優柔不断なのは、金がないからだろう。県の財政危機がこのように政策決定に影響を与えている。困ったものだ。
晴れ


2001/09/06(木)  市民自治あいち21の運営委員会
 「市民自治あいち21」として、「ローカルパーティ設立準備委員会」を設置することになり、そこで議論すべき課題を大松沢君の提案で論議。運営委員会のメンバーとしては、お互いに、本気でローカルパーティを立ち上げようとすれば、誰かが自己犠牲的精神で頑張らねばならいないと意識しているようで、薄霏の中で議論している雰囲気。重い、重い議論だ。
晴れ


2001/09/05(水)  きょうの市民の会
 きょうは「とよた市民の会会報」第4号の発送作業。内容は、「ダイオキシンの夏」の上映会のあんない。
 岡田耕一市議が一般質問を終えた日だから、その報告を聞く。理事者たちの危機感のない答弁が推測できた。
晴れ


2001/09/04(火)  特記事項なし
 午前中、故人生前中から骨肉の争いになっている遺産分割の相談。極力単純な数字の問題として説明する。
 また、年金生活になってからの離婚相談。私の考え方からすれば、女性に我慢せよとはどうしても言えなかった。ただ、女性にとって経済問題は深刻だ。
晴れ


2001/09/03(月)  ささやかな不良債権
 友人からの依頼で、返済をしばらく待ってくれるようにと要請するために銀行へ。半年ほど後には不動産を換金して一括返済する準備を進めていると説明したが、支店長は、本部から不良債権処理の指示には抗し切れないと嘆き節。返済への道筋がたっているのに不良債権とは理解しがたいが、これも小泉改革の余波と言うべきか。
雨


2001/09/02(日)  愛知万博中止の会
 「愛知万博中止の会」の結成総会に顔を出した。参加者は100名弱。これまでの反対運動の流れからすれば、縮小再生産の感がしないわけではないが、運動の持続は必要だ。40名程度の街頭デモにも参加した。
 他方で、大松沢氏とともに著した「万博撤退論」に対して、書くだけではなく、政治家として責任を取るべきだという指摘も受けている。
 推進派が全く混乱に陥っていることと相関関係にあると思うが、私自身、悶々とする日が続きそうだ。
曇り


2001/09/01(土)  稲武町のどんぐりの湯
 友人から突然の誘いがあって、稲武町の「どんぐりの湯」に遊んだ。
いまの温泉の流行のように、湯船が5つもあった。レストランはまさに都会風で、ウエイトレスも垢抜けしていた。過疎の山間部に都会のレジャー施設。元々は建設省(当時)が仕掛けた道の駅によるものだが、にわかに評価を定めるのがむつかしい施設だ。
晴れ


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