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日記

( 2004/09 ← 2004/08 → 2004/07 )


2004/08/31(火)  読書
 台風で境のトタン塀に異常あり。午後になって、修復を試みたが、トタンの疲労がひどくて思うにまかぜず。適当で止めた。
 夜、参院選に献身してくれた人と、岡田市議を交えた4人の親睦会。
 その余の時間は読書に。読みかけていた、津本陽「歴史に学ぶ」(講談社文庫)と、高橋哲哉:斉藤貴男対談集「平和と平等をあきらめない」(晶文社)を読了した。
晴れ時々曇り


2004/08/30(月)  司法書士稼業
 銀行での受け渡し1件。その事件の処理と、過日の事件の成果品の納品などで、夕方になった。
 時間がたつにつれて、台風による強風が気になってきた。
台風


2004/08/29(日)  特記事項なし
 午後から、事務所の整理。手を着けてから相当時間を要したが、どうやら見通しがついてきた。あと半日もあれば、片がつきそうだ。
 夜、秋の祭礼奉納行事に関する簡単な寄り合いに顔を出した。
曇り時々雨


2004/08/28(土)  まちづくり協議会
 午後、まちづくり協議会のシンボル・ロード検討会で高月院の周辺などを歩いた。メンバーが意欲的で気持ちよかった。 
 夕方、フィリピントヨタ労組に関する会合を顔を出して、夜はまちづくり協議会の月例会議。9月26日の歴史勉強会の準備が主な議題だった。
曇り時々雨


2004/08/27(金)  司法書士支部研修会
 午前、法律相談1件。午後、自然観察の森の借地契約と、計画構想について説明を求めて、市環境政策課へ。その後、事務所の整理。
 夕方から、司法書士支部研修会で岡崎へ。登記のオンライン申請の話。国民の権利関係に決定的な影響を与える登記事務に、ITの世界が果たして馴染むのか根本的な疑問をもっているが、きょうの講義でも、その疑問は払拭できなかった。
曇り時々雨


2004/08/26(木)  特記事項なしというべきか
 午前中、買主の法人事務所での受け渡しがあって出かけて行くと、社長に、冗談気味ではあったが、「なぜ小林さんがここへくるの?」と言われて慌てた。まだ、司法書士として認知されていないようだ。
 後は、次の受け渡しの準備などで暮れた。
晴れ


2004/08/25(水)  きょうの市民の会
 昼間は、意外と時間がかかった法律相談が1件あっただけで、特記事項なし。夜、合併問題の地区説明会があったので、顔を出した。会場は満員だったが、各自治区の役員と市職員がほとんどといった感じで、市長の熱弁ばかりが目立った。吸収合併をする側の人間だから、他人事の雰囲気。議論は、市内の都市内分権案が具体化してきてからだろう。
 その足で、夜の会合。岡田市議の市政に関する報告の後、9月議会の質問の質問内容について、若干の意見交換。
 岡田市議に、海外視察を非難する匿名の投書があって、披露された。ITの世界も同じだが、匿名で相手を論難する行為は卑劣で最低だ。この原点のモラルが確立しないことには、社会問題としてのIT問題は、永遠に解決しないだろう。
晴れ


2004/08/24(火)  特記事項なし
 歯医者へ行ったり、事務所の整理をしたり、法務局や岡崎の家裁へ行ったり、夜は常夜燈祭に参加したりして、一日が終わった。
曇り時々雨


2004/08/23(月)  憲法問題懇談会
 夕方から、誘ってくれる人があって、憲法改正問題を考える少人数の会合で、名古屋へ。
 自民党と民主党の改正案の中間報告を比較検討した。僕は、憲法を絶対にいじっちゃいけないとは思わないが、改正する方向として考えていることが、大勢とは全く逆なので、運動として多数派が形成できるかについては、絶望的になっている。でも傍観はできない。何ができるか、自問自答するキッカケにはなった。
曇り時々雨


2004/08/22(日)  ビラ配り
 昼、三菱自動車の岡崎工場閉鎖問題についてのビラ配りで東岡崎駅前へ。「岡崎三菱の集会あんないです」と声をかけると、さすがに受け取ってくれる率は高かったが、如何せん、通行人の絶対量が少な過ぎた。岡崎でもこうなのかと、認識を新たにさせられた。 
晴れ時々曇り


2004/08/21(土)  スパイ・ゾルゲ
 朝、少年野球の夏季大会の開会式に大会長として出席。
 午後、葬儀1件。
 夜は、参加を誘われた行事があったが断って、TVで篠田正浩監督の「スパイ・ゾルゲ」を、夕食を中断して観た。 
 「尾崎の一生を台無しにし、妻を捨て、愛人を騙して、僕がやってきたことに何の意味があったのだろうか」と自問しながら、「国際共産主義運動万歳」を最後の言葉として処刑されていったゾルゲ。尊大な言い方だが、人生の意味からすると、自分と重なるところがあるように思えて、感慨深かった。
 ただ、ゾルゲの処刑と、レーニン像の倒壊を重ね合わせた篠田監督の最後の落としどころの意味は、僕には理解できなかった。
晴れ時々曇り


2004/08/20(金)  アレコレ
 過日の申請した登記が取下げに。家裁の家事審判に更正決定を求めねばならないことに。知立市役所経由で岡崎の家裁へ行ったが、知立市内で迷ってしまい、大幅な時間のロス。
 帰宅後は、事務所の整理の継続。最終的な整理のイメージが確立できず、これまた時間のロスが多かった。
晴れ


2004/08/19(木)  まちづくり協議会
 昨日夕方から深夜まで、電話の操作を怠って留守電にしてしまったため、寝る前に聞いたら6件の留守電があったので、覚悟はしていたが、案の定、午前中は電話と来客の対応に追われた。
 夜、評議員会とまちづくり協議会リーダー会議とが重なってしまって、区長の了解を得て、まちづくり協議会に出席。「まちづくり憲章よりも、まちづくり協定の方が先だ」と、市の方針に異論を呈してみた。
曇り


2004/08/18(水)  きょうの市民の会
 朝、歯医者。その後、司法書士業務と事務所の整理をして、世話になった人の病気見舞いのハシゴ。どちらも意外にも全く元気そうで安心した。
 夜の会合は欠席者が多くて、第4回市民講座の日程を10月23日(土)とだけ決めて、後はほぼ雑談で終わった。
晴れ時々曇り


2004/08/17(火)  特記事項なしというべきか
 午前中、巫女舞の練習の世話のために八幡宮へ。
 夕方から、古い文書の整理を続行。まだまだ道は遠いが、少しずつ片付いていく感じ。
曇り時々雨


2004/08/16(月)  ラブ・レター
 簡単にできると思っていた相続登記が、途中で添付書類の不備に気づいたりして、終日かかってしまった。
 夜になって、事務所の古い書類の整理を継続したが、中・高校時代の女友達からの手紙が出てきて、処理に迷った。いちいち目を通すと、どれもなつかしい思い出となった。迷いに迷った挙句、すでに早世した彼女もいるのだからと、妻からのものを残してすべて処分した。処分したら、とたんに昔誰かに聞いた、「人生とは断念の積み重ねである」という言葉を思い出した。
 それらに混じって1通の電報があった。「5・21ワレラストデ タツトモニタタカワントウキョウダ イガ クキヨウヨウガ クブ ダ イギ インタイカイ」。こんな時代も確かにあったのだ。

晴れ時々曇り


2004/08/15(日)  盆終わる
 朝から、八幡宮の月並祭。
 午後、三菱自動車岡崎工場閉鎖に関する会合で、岡崎へ。
 夕方、盆三日目の墓参り。仏壇の盆飾りを取って盆が終わった。
晴れ時々曇り


2004/08/14(土)  書類整理
 朝遅く起きて、ほぼ終日、事務所に積まれていた書類の整理をした。例によって、時折なつかしいものが出てきて、予定通りには進まなかった。
 夕方は、墓参り。
晴れ


2004/08/13(金)  特記事項なし
 午前中、司法書士稼業。午後、フロッピーで契約書を作ってくれという依頼があって、作成。
 夕方、盆の墓参り。夜は、市の環境学習施設に関するパブリックコメントに、メールで応募した。
晴れ


2004/08/12(木)  アレコレ
 午前中、檀那寺の盆行事に顔を出して、午後、友人の病気見舞い。以外に元気そうでヤレヤレ。
 その後、相談事2件あり。
晴れ


2004/08/11(水)  きょうの市民の会
 盆休みに入れるかと思ったが、来客もあってそうもいかず。
 夜の会合は、訓覇講演会の結果と、10月の第3回市民講座の確認をした後、岡田市議のアメリカ報告。話は、地方議員のあり方について、外国との比較論となり、定数・報酬・調査費など、簡単には結論が出ない話が続いた。 
晴れ


2004/08/10(火)  高中同窓会
 午後、まちづくり協議会の道路計画の小委員会。28日に先進箇所を観ることになった。
 夜、高中同窓会の役員会。総会の期日を12月4日に決めた。
晴れ時々曇り


2004/08/09(月)  盆休みへ?
 早朝、盆踊りの片付け作業。その後、受け渡しへの立会いで岡崎の金融機関へ。追われていた業務の処理は概ね終わった感じ。明日から盆休みということか?
晴れ


2004/08/08(日)  盆踊り
 午前、墓掃除。出かけるのが遅かったので、暑くて参った。
 夜は、自治区の盆踊り。今日は天候に恵まれて、大過なく終了。二日間の行事にしておいた甲斐があった。
晴れ


2004/08/07(土)  いろいろあった土曜日
 早朝、盆踊りの準備。
 昼ごろ、息子が彼女を連れて挨拶に来た。妻とやや緊張して向かえたが、彼女の方がもっと緊張していたに違いない。通り一遍の言い方だが、僕の息子が選んだ交際相手だからと、いい雰囲気で昼食を共にした。
 その後、参院選の反省会で名古屋へ。集まったメンバーの発言は、僕以外は全員前向きだった。僕は、しばらくの間情報を集めつつ、総括を続けてみたい。
 夜の盆踊り大会は、夕立で中止。雨のため帰るに帰れず、テントの中で過ごし、片付けまで付き合った。明日の好天を祈りたい。
晴れ時々曇り


2004/08/06(金)  特記事項なし
 名古屋家裁へ不在者財産管理人選任申立に。この手続きが受理されたとしても、解決までにはまだまだ永い道のりがありそうな事件だ。
 夕方からは、古い書類の整理を少しやった。
晴れ


2004/08/05(木)  下水道交渉
 午前中、八幡宮の下水道接続問題で、市下水道課と交渉。
久しぶりに受益者負担金の原則論をぶった。こちらも市も宿題を出したが、宿題をもらった部分もあった。長期戦になりそうだ。
 後は、ひたすら業務をこなした。
晴れ時々曇り


2004/08/04(水)  中国の日本パッシング
 今日の「市民の会」の週例会は休会。
 昨日来、サッカーの試合での中国サポーターの日本へのブーイングがマスコミの話題になってきた。僕は、これは日本の戦後外交の失敗の結果に過ぎないと思う。特に大騒ぎするようなことではない。
 同じ敗戦国のドイツは、戦後近隣国に対して、徹底的な「お詫び外交」をした。それは、ブラント社民首相の東方外交として見事に結実した。
 それに対して、日本は、中国や朝鮮に対して侵略戦争の「お詫び」を率直な言葉で明言せずに、金をばら撒く(経済援助)ことでごまかしてきた。それが今日の結果である。
 なぜ日本は「お詫び」できなかったのだろうか。それは、論理的に言えば、天皇の戦争責任の問題に直結する。今となっては結果論だが、戦後直後に、天皇制の廃止まではいかなくても、少なくとも昭和天皇は退位すべきであった。そして、高松宮か三笠宮が代行して、平成天皇に引き継ぐべきであった。
 戦争責任を曖昧にしてきたツケは、極論を言えば、「次の戦争」までわが国を覆いそうである。
晴れ時々曇り


2004/08/03(火)  津本講演会に向けて
 昼間は、昨日とほぼ同じことで暮れた。
 夜、顕彰会の理事会。11月20日の「津本陽講演会」への準備に着手。チケット、ポスター、チラシについて、会長一任を取り付けたが、一任されたことの重みを方を強く感じる。
曇り


2004/08/02(月)  特記事項なし
 午後、名古屋からの来訪者と1時間余り意見交換をしたほかは、業務の処理・対応に追われた。
晴れ時々曇り


2004/08/01(日)  訓覇講演会
 朝、盆踊りの櫓建てに顔を出した後、八幡宮の月並祭。
 午後、「とよた市民の会」の市民講座である訓覇法子さんの講演会。目標だった50名を超える約70名の参加があって、嬉しさとともにヤレヤレ。
 「北欧の福祉政策に学ぶ:スウェーデン現地から伝える福祉社会の現状」というテーマだったが、極めて迫力がある講演だった。僕には、「真の人権意識なしに、真の福祉なし」という論理が説得的だったが、逆に言えば、わが国がスウェーデンを真似ることは不可能だということも分かって、ガッカリもした。
晴れ時々曇り


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