会報第14号 16年10月13日 発行
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 両国の違いを端的に言うと、スウェーデンでは、すべての国民が平均的な生活を享受できる権利があるという考え方に基づいているのに対して、日本では、困っている国民に対して、最低限の生活を保障するという考え方(憲法第25条)であることです。つまり、日本では、いわば国民を1軍と2軍とに分け、困っている2軍に対してのみ社会保障をするという選択的福祉であるのに対し、スウェーデンは、すべての国民を普遍的に福祉の対象にしていることです。
 言い換えると、人聞が生活するのには3つの社会システム、つまり@家族を含む地域社会、A市場という経済システム、B行政(公共)が担う政治システムが必要ですが、日本では、@Aの中でうまくいかなかった人をBが救済するという、国家が国民生活を補完するという立場であるのに対し、スウェーデンでは、Bの国家は補完的存在ではなく、まさに国家が国民生活に最大の責任を負うと考えられており、福祉こそが国家の目的になっているというのです。

「人としての価値はみな同じ」を理念とする「国民の家」づくり
 スウェーデンで福祉を国家の目的にすることが提唱されたのは、1928年当時の社民党政権による「国民の家」一づくりの提案からです。そこでは、国家は国民の「良き父親」になること、国民が戦い争いあう国ではなく、助け合って平和に暮らせる国をめざすと宣言されたといいます。
 しかし、そのためにはお金、財源が必要になります。
 スウェーデンでは、大部分の国民は30%の地方所得税を負担し(高所得者は国税も負担)、日本の消費税にあたる付加価値税は25%ですが、食料品の付加価値税は11%であり、観劇などの文化的活動については6%に抑制されています。
 こうした高負担をスウェーデン人は、福祉の財源を確保するために必要なもの、所得の再分配を実現するものとして割り切っており、税金を「取られる」と感じている人はほとんどいない。自分が納税の義務を果すことによって、「国民の家」がつくられていくのだと考えているということです。
 したがって、低所得者に対する納税義務の免除という制度はなく、所得が低ければ低いなりに納税し、「国民の家」づくりに参加する。これも、すべての人の人権は平等である考え方からきています。
 公平と平等の観点から、税も年金も、壮年期時代の所得に比例するというのが原則です。そして、壮年期時代の高負担が、子供の世代の教育や医療費を保障し、自分が高齢者になったときの生活を保障してくれるという確信があづて、世代間連帯の精神が強いとのことでした。
 そして、訓覇さんは、スウェーデンは福祉資本主義の国だとして、その特長として5点を指摘しました。すなわち、@社会保障が充実していること、A労働権が保障されていること(完全雇用)、B所得の再分配によって国民の購買カが維持向上されること、C民主主義と社会権が尊重されていること、D生活水準の均等化が追求されていることです。

 訓覇さんの迫力ある講演を聴いて、北欧福祉の真髄に触れた思いがしましたが、同時に、小手先の制度をいじくって済むような問題ではなく、どのような社会をつくっていくのか、日本という国家は、私たちのためにどのような存在としてあるべきなのか、等々重く・考えさせられる市民講座でした。
(文責:小林収)

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