会報第19号 18年4月26日 発行
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第2期 第4回 市民講座 報告
悔いのない最期を迎えるために:緩和ケアの現状と課題
講師:川原 啓美 先生(愛知国際病院理事長)
  「医療」をテーマとする「とよた市民の会」の第2期市民講座の締めくくりとして、2月4日、緩和ケアについてのお話を聴きました。
 講師の川原先生は、県下で最も早くホスピス病棟を設置した愛知国際病院(日進市米野木町)の理事長であり、アジアの地域保健・開発ワーカーの育成に貢献しているアジア保健研修財団の理事長でもあります。
 以下に、主催者側で勝手にまとめた当日のお話の要旨を報告します。

人生を変える出会い
 私の医師としての出発は、胸部外科でした。アメリカ留学を終えて、どうやら医師として一人前になったと思った私は、自分の技術を途上国の医療援助に役立てたいと思い、1976年にネパールで3ヶ月間の医療協力に参加しました。当時はただ一人の日本人でした。そこで、私の人生を変える出会いがありました。
 その患者は、26歳の母親でした。下肢の腫瘍での入院でしたが、ひと目で進行した皮膚ガンだと分かりました。私は、右下肢の切断しなければ、命を失うことになると告げたのですが、彼女はこう言ったのです。「私が死ぬのは悲しいことです。でも、仕方のないことです。というのは、私が死ねば、夫は次の妻をもらうことができます。その健康な新しい妻は、私の子どもたちを育て、夫を助けて働くことができます。しかし、私が足を切られ、何もすることができなくなったら、貧しいわが家は、全滅してしまいます。私にはそんなことはできません」と。彼女は、自らの生命よりも、愛する家族の幸せを優先するという、驚くべき決断をしたのです。
 この衝撃から、私は単に患者を診るだけではなく、この人たちがどんな生活をし、何を考えているかを知らねばならないと思って、病院の外の世界に目を向けるようになり、途上国における地域保健の重要性を痛感したのです。1978年にWHOが、プライマリ・ヘルスケアについての「アルマ・アタ宣言」を出して、治療医学から地域保健へ、都会中心から地域(僻地)中心の予防医学への提唱をしたことも支えとなって、80年にアジア保健研修財団を設立し、81年には協力して下さる地主さんがあって愛知国際病院を開設することができました。

地域とともに、地域に支えられる医療をめざして
 私どもの病院は、1.キリスト教精神にもとづく全人的医療、2.アジアの健康に深い関心を持ち、その増進に努力する、3.地域とともに、地域に支えられる医療の、三つの理念を掲げていますが、「地域とともに」の実践として、82年からガンを含む患者への訪問看護をはじめました。これは、意図して計画したものではなく、最初は看護婦の自発的な活動によってはじまったものです。訪問する患者数は、はじめは数名程度でしたが、1990年代に本格的な活動になって、いまでは百名近い数になっています。

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