会報第19号 18年4月26日 発行
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 こうした活動をする中で、在宅で最期を迎えることができない人をどうするかが課題となって、1999年にホスピス病棟を併設することになったのです。
 また、「地域に支えられる」ということでは、多くの病院ボランティアに支えられています。ホスピス病棟を建設にあたっても、多くの地域の人々、団体に協力と支援をいただきました。

ホスピス病棟からみえること
 これまでの病院死の問題点として、医学の進歩の裏返しとしてのやり過ぎの医療、医療に偏重したケア(お世話)の不足、苦痛の緩和が不十分なこと、コミュニケーションの不足(患者と医師だけではなく、医療従事者同士においても)などが指摘され、患者が、苦痛と医師への不信の中で死を迎えることが多くありました。
 これに対して、緩和医療の意義は、「死を否定的にとらえていたこれまでの医学の流れに対して、死は人生の自然な出来事としてとらえ、不自然な延命より、苦痛を緩和して自分らしい生を全うすることを援助する」とされています。
 ホスピスの患者の中に、絵が趣味で、個展を開くことを楽しみにしていた人がいるのを知って、ナースの発案で、病院のラウンジと廊下を使って展覧会をやったことがあります。その時の患者のいきいきした様子が忘れられません。
 全米ホスピス協会の定義によれば、「ホスピスは、死にゆく人と家族に対して、身体的、精神的、社会的、霊的ケアを、在宅と入院の両方の場面で提供する、緩和サービスと支援サービスの調和がとれたプログラムである。種々の専門家とボランティアが、多職種の医療チームを構成してサービスにあたる。患者の死後、遺族に対して、死別後の援助を行う」とされています。
 そもそも、ホスピスの語源を調べると、ラテン語のHospesという、ホスト(主人)とゲスト(客)を組み合わせた単語に行き着き、「客を温かくもてなすこと」を意味します。また、1967年に世界で初めて、ロンドンで近代ホスピスを開設したシシリー・ソンダースは、ホスピスの目的を、患者が抱える身体的・精神的・社会的・霊的なトータルな苦痛からの解放としました。
 「ケアは医療の根源である」といわれるように、終末医療においてはケアが最も重要です。柳田邦男氏は、終末医療における医療提供者は、患者本人を1人称とし、家族を2人称とすれば、医療者は、他人の3人称ではなく、2.5人称の存在であってほしいと言っていますが、そのように心掛けねばと思います。

シュバイツアーの生命への畏敬
 私はいま、ホスピスと老人保健施設で働いていますが、どんなに余命が限られている患者でも、「明日も元気で目を覚ましたい」と思っています。人間には最期まで、生きようとする生命があるのです。
 アルベルト・シュバイツアーが、生命への畏敬について、「私は生きんとする生命に取り囲まれた、生きんとする生命である」という言葉を残していますが、私は自分自身が生命を限られたものと自覚し、近親者や友人の訃報に接することが多くなって、死が日常的なものになってきて、ようやくこの言葉の意味が分かってきたような気がしています。生と死の問題について、医師といえども超能力者であるはずはなく、生きようとする生命を手助けする単なる道具に過ぎないと思えるようになりました。
(文責:小林 収)

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