会報第26号 2010.6.17 発行
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●軍隊という組織は、コスタリカでは法律上も事実上も存在しない。1948年に「軍隊放棄宣言」がなされ、翌1949年の新憲法第12条で恒久的組織としての軍隊は禁止と明記された。存在するのは警察組織であり、国境を警備するのも警察組織である。
 では、コスタリカという国がどのような経緯で軍隊を放棄していったのか、そして軍隊のない今、国家の安全保障はどうなっているのかが気になるところである。私たちは「軍隊放棄」への道筋は、いかにも崇高な理念のもと進められたかと考えてしまうが、実はそうでもないようだ。当時の政治的抗争において、互いの有する(軍事)力を殺いでしまおうという意向も働いたようである。また、時々の政治的リーダーが、「軍隊をなくしたほうが得だ」と考えたことも大きい。足立さんは著書『丸腰国家』(←760円+税 お薦め!!)でもこのように書いている「軍事的問題の解決は常に、最終的には非軍事的手段で終わる。・・・(中略)いずれにしても、世界を制圧できるほどの軍事力を持てるわけではない」。問題解決にあたっては、「軍事力がない方が解決しやすい」とリーダー自身が実感しているということである。

●実は、1948年の「軍隊放棄宣言」後、コスタリカには4度の有事があった。うち、国内の政治抗争に敗れた者が隣国ニカラグアの支援を得てコスタリカに攻め入ったことが2度もある。これに対しコスタリカは、元軍人を集めて対抗すると同時に、米州機構という米国主導の国際組織に「この事態はコスタリカへの侵略だ」と訴えた。その結果、米州機構からニカラグアに圧力がかかり、全面戦争が避けられた。
 また、1980年代には、ニカラグアの革命政府と(それを敵視する米国が支援する)コントラという組織が、コスタリカの国境で「どんぱち」やりだした。コスタリカは、ニカラグア革命政府と米国双方から、自分に味方せよと迫られ、苦しい状況に置かれてしまう。そこで当時の大統領が「積極的永世非武装中立宣言」を打ち出した。どちらにもつかないが、仲介者としては積極的に関わる、という意味である。軍隊を放棄したコスタリカが言う言葉であるから説得力がある。この宣言は諸外国から支持や賛同をとりつけることができ、米国とニカラグア双方を納得させることができた。
 軍事力で相手をたたきのめすことよりも、自国と相手国以外の国々を巻き込んでその中で話し合う、というのがコスタリカの紛争解決のスタイルと言えそうだ。はじめから「丸腰」状態のコスタリカは、国際社会でも信頼を得られやすい。また、「民主主義・自由・人権」などといった米国的価値観を持ち出すことで米国に反論させにくくする。これが自前の軍事力でものを言わせようとしたら、いったいどれくらいの力を備えねばならないのだろうか。その方向性こそ非現実的と言わねばならない。小国コスタリカが自国を守っていくには、外交力で危機を乗り切ることのほうが現実的であったといえよう。

●「ほとんどのコスタリカ人が『軍隊を持ってはならない』と考えている」と足立さんは著書の中で述べている。それはもう信念の問題と言ってもよいくらいだそうだ。上記の通り攻められた経験があるにもかかわらず、圧倒的多数の国民が再軍備を否定するのである。
 コスタリカの人々は「平和」というものを考える時、常に前向きなもの、そして自分の身近にあるものとしてとらえる。「平和教育≒反戦教育」を想起し、平和を創るといっても何をしてよいのかわからない日本人との違いがある、と足立さんは指摘する。「より平穏に、より自由に、より民主主義的に、より尊厳を持って、より豊かな環境の中で生きていく」ことと軍事力とは相反するものだ、とコスタリカ人は心底感じているのではないだろうか。そして「軍隊は持たない」と堂々と宣言する。こんな国が現実にある事をひろく知ってもらいたいと思う。

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