会報第27号 2011.11.2 発行
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「3.11ショック」と企業城下町

 「3.11」以後の報道で、私が一番嫌なのは、現福島県知事佐藤雄平氏の態度である。今でも、テレビ画面に彼の顔が大写しになるとヘドが出そうになる。その理由は、加害者の一員でありながら被害者であることを売り物にしている、嫌らしさである。
 彼の前任者である佐藤栄佐久氏が、東電のプルサーマル計画を認めようとしなかったことは、よく知られている。栄佐久氏は、2006年秋に汚職事件で知事を追われたが、この汚職事件は、プルサーマル計画を推進していた「原子力ムラ」による隠謀だとする説が多い。栄佐久氏の後を襲った雄平知事は、2010年8月に、東電に対して福島第一発電所でのプルサーマル発電を承認したのである。

 原発推進は、確かに自民党政権下での国策であった。現知事は、国策を支援してやったための災害だから、自分たちは国や東電の被害者だと言いたいのであろう。
 しかし、国策をヨイショしたことに責任が問われないとすれば、かつての戦争責任論も意味がなくなってしまう。現知事が問われねばならないのは、前任知事の意向に反してまで、国策に沿う路線を取ったことについての、福島県民に対する政治責任である。その自覚がなくて、国や東電の責任をあげつらって、ひたすら他県よりも多くの予算配分を求めて大仰な態度をとる映像の姿は、醜悪としか言いようがない。

 現知事の言動の向こうには、東電あってこその福島県であったのに、という思いが透けて見える。これから目指さねばならないのは、東電なしの福島県となる。
 このように考えると、「福島県―東電」と、「豊田市―トヨタ」とどこが違うのか、を考えざるを得ない。原発は放射能をまき散らすが、自動車にはその危険性はない。この点は、決定的な違いである。
 しかし、自動車産業の育成も、また国策であった。経済成長の牽引を常に輸出産業に委ねて、そのために農林業を切り捨ててきたのが、自民党の国策であった。加えて、地球資源の観点からすれば、自動車は人類にとって最も貴重な資源である石油なしでは走れない。その意味で、豊田市民は、人類の中でも最も良いとこ取りをしてきたグループと言える。

 だが、資本のグローバル化の中で、トヨタの国外進出が進行し、国内、とりわけ豊田市内の空洞化が深刻になるのは避けようがない。これまで、トヨタが豊田市の政策を左右することはあっても、その逆があったためしはなかったのだから、豊田市の政策がトヨタの動きを左右することは不可能であろう。トヨタ資本が、日本国民のために、利潤が減少しても国内雇用の増大に努めるという、ナショナルな選択をするとはとても思えない。
 市内での自動車産業の空洞化が深刻になったとき、豊田市は、国に、「国策にしたがってきたのだから補助金をくれ」と要求するのだろうか。

 「3.11」が教えてくれたのは、トヨタなしでも、住民が肩寄せ合って、慎ましくも仲良く暮らしていける地域社会を構築するための準備に着手することだ、というのが、私の実感である。
 その準備のために、自治体の政策として、具体的に何をすれば良いのか、残念ながら、いまだ模索の最中にある。
(とよた市民の会事務局長 小林 収)

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