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おさむ会ニュース 第14号 2003.7.15発行

4回の県議選を振り返って
前 愛知県会議員 小林おさむ
社会党公認で市議会から・県会へ

 私が県議選への出馬を決意したのは、豊田市会議員4期目の半ばの頃、社会党から出馬の要請があったのがキッカケでした。当時の私は、政党に所属することには消極的でしたが、県議会が政党政治で運営されていることと、立場を鮮明にした方がいいという考えから、選挙の直前に社会党に入党して選挙戦に臨みました。
 選挙戦は、総評系労組を中心とする社会党の勢力と、市会議員選挙を支えてきたグループと地元との連合軍の布陣でした。私の当選をマスコミは、「この地区で初めての社会党の議席獲得」と大きく報じました。つまり、私は、この地方で市民運動を担ってきたグループと社会党勢力との連携の中で、県議会に議席を得たのですが、この政治勢力を維持・拡大することができませんでした。


実質敗北だった2回目の選挙

[別図]に4回の県議選での私の得票を掲げましたが、2回目の得票が大きく落ち込んでいます。この選挙は、はじめから落選候補がわかっている無風選挙と言われ、選対の活動が著しく鋭かったのは事実ですが、当選者でこれだけ大きく票を減らしたのは私だけですから、深刻な反省が必要でした。
 いまから思えば、1期目の私の活動は、社会党の党内活動に終始していたように思われます。したがって、市民運動グループからは、「小林の選挙は社会党がやってくれるものだ」とい
う感じがあり、社会党からは、「党外の票も取ってくれるだろう」という、もたれ合いが発生していたのです。
 この2期目の選挙での緊張感の無さが、それ以降の落選の伏線となりました。


サッカー場と万博問題で
「トヨタ」民主党と路線対立へ

 他方で、社会党が解体状況となり、私は鳩・菅民主党に移行しましたが、同時に、総評・地区労の解体も進み、この地方の労組は、トヨタ労連を主導とする連合へと統合されていきました。
 そうした勢力とハッキリと対峙することになったのは、サッカー場問題と万博問題でした。私の政治姿勢を理由に、労組が私への不支持を表明したのは、前回の選挙の前年の11月頃からでした。


小林おさむの県議選得票数
  1991/4 1995/4 1999/4 2003/4
所属 社会党 社会党 民主党 無所属
豊田市 18,873 14,098 19,568 18,790
足助町 741 422 493 516
旭町 133 69 87 83
下山村 131 89 140 126
合計 19,878
(当)
14,678
(当)
20,288
(落)
19,515
(落)

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