会報第8号 14年12月10日 発行
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おかしなおかしな政策決定手続き
加茂病院移転地問題に思う
とよた市民の会事務局長 小林 おさむ
 加茂病院の移転先が、どうやら名鉄豊田線・「浄水駅前」で決まりそうです。
 私自身は、地元に住んでいてサッカー場反対運動を担った経験から、「サッカー場のような地元にとっての迷悪施設を造ったのだから、その見返りの意味でも、近くに市民に役立つ福祉・医療施設を造れ」という理由で、「上野・広川町」地区への移転を期待していましたので、残念な気持ちで一杯です。
 しかし、私がここで論じたいのは、「浄水駅前」立地を非難ることではなく、どこに決まるにせよ、決め方があまりにもいい加減ではないかということです。
 そもそも加茂病院の移転問題は、厚生連と豊田市が設けた「公的病院整備問題検討会」が、平成11年2月に公表した報告書に端を発しています。そこでは、加護病院の移転新設の必要性とそれに伴う市の公的支援の必要性が指摘され、移転先は「現行病院の診療圏を大きく変えない位置」と述べられていました。
 これを受けて、豊田市議会に「加茂病院移転問題特別委員会」が設置され、1年がかりの議論の末、「現行病院から半径2km以内」の移転先として、「上野・広川町」地区と「御幸町」地区の2候補地を挙げて、市当局の選定を求めていたのです。
 ここまでは、通常の政策決定の手続きでした。候帯地とされた両地区の地元も、それなりの対応をして、誘致の態度を示していました。
 ところが、一般市民はおろか、2つの地元の関係者にも何の説明もなく、突然「浄水駅前」地区となってしまったのです。
 今回この2候補地が消えたのは、加茂病院側が災害拠点病院の指定を確保するために、平成19年度の移転開院という「時期」にこだわったのが理由とされていますが、いまになってなぜ「時期」論が突然出てきたのかについては、全く説明がありません。以前の2侯補地のばあいに、移転開院時期が平成20年以降にずれ込むことは、市議会でも・公然と議論されていたのですから。
 しかも不思議なことに、市当局は、現在に至るまで、「浄水駅前」地区という固有名詞を、公式の会議の席上では一切発言していないのです。

思政クラブ議員よ、怒れ!
 聞くところによれば、去る10月25日の特別委員会で、議会側が、先の移転先2候補地を白紙撤回し、市当局に移転先の選定を一任する決定をし、これを受けて市長が近々、「議会から任されたから」という理由をつけて、「浄水駅前」地区を発表する段取りだそうです。これではもはや、田舎芝居の茶番劇というほかありません。
 市長と議員が別々の選挙で有権者の付託を受けている市政では、政策決定において市長と議会の見解が異なることは、決して不思議なことでもおかしなことでもありません。問題は、実際は市当局や市会議員の間に様々な意見がありながら、その意見の相違や議論の中身が明らかにされず、市の決定として公表される際には、市長と与党・思政クラブの一致した結論だとして、議論や修正の余地のない政策として市民に押し付けられることにあります。
 振り返って見れば、市議会特別委員会の約3年間の議論はいったい何だったのでしょうか。「市会議員よ、怒れ。特に、思政クラブよ、怒れ」と言いたくなります。
(2002.11.20記)

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